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新経営研究会

わが社の経営再建、新グローバル化時代への対応/千代田化工建設 関誠一氏

《と   き》2013年2月5日 
《講  師 》千代田化工建設(株) 顧問 前会長・社長 関 誠夫氏
《コーディネーター》放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

「イノベーションフォーラム21」2012年度後期第4回は、千代田化工建設の社長、会長を務められた関誠夫さんの「我が社の経営再建、新グローバル時代への対応」と題するお話しであった。
 まずは会社の歩みについてであり、LNGプラントにおいて世界シェアの50%近くを占めるまでに至った発展と、代表的なカタールとサハリンのLNGプロジェクトの紹介があった。カタールプラントはまさに巨大であり、世界各国からの7万5000人の人々が建設に従事した。現地の日本人は200人であり、それでピラミッドのように巨大な労働組織を動かすのであるから、その労苦は想像を越えるものがある。作業現場へ労働者を運ぶのはバスであるが、それが300-400台も繋がって走るという。
 カタールは非常に暑い国であり、日中は摂氏50度を越すことがあるという。50度を越えれば、労働は中止になる。一方でサハリンは猛烈に寒い。酷暑、酷寒の中でのプラント建設の奮闘である。
現地の人々と接するのに、基本は「レスペクト」というのが印象的であった。対等の人間として、敬意を払うという姿勢が欠かせないという。このレスペクトという言葉は、日本の組織においては、あまり登場はしない。日本人同士であれば、ともかく親しくなり仲良くなるのが第一とされる。そこには、人と人との対等の付き合いという観念が見られない。日本における人間関係と海外での人間関係とは違うのだ、ということで印象が強かった。
 もっとも、中東では「注意」も必要であるというのも、なるほどと思わされた。日本でのようには、信用は出来ない面があるので、後で泣き面をかかされないように、相手の言動に十分に注意を払ってないといけないのだ。
多種多様な膨大な人間の寄り合い所帯である海外での組織において、何を心掛けるべきか、レスペクトと注意は、それを思い知らされる言葉であった。
なお、現場ではなくトップレベルでの関係も、日本とは様相をかなり異にする。そこで基本的に重要であるのは契約であり、これは欧米の企業との関係において千代く心掛けねばならないと関さんは言う。
 この契約も日本ではとかく軽視される。それは信用が通用するからであり、信頼関係があれば良いとされる。関さんは、不測の事態において、綿密な契約があったからこそ、大きな被害を免れた具体的な例を挙げて、契約の重要性を説いた。
千代田化工建設は、1990年代後半に大変な経営危機に陥ったが、その再建の立役者が関さんであった。当時は取締役のレベルで海外で仕事をしていたのだが、再建を委ねることで、常務として呼び戻して、やがて社長になって見事に再建を果たした。そのために為したことを詳しく話されたが、荒業というのではなく、緻密なシステムを作ることによって、社員全体の日々の仕事における行動を大きく変えたことによる成果であった。インデックス、インジケータなどを設けて具体的な行動の指針を定めて、全社が自ずから変わる仕組みを作ったのである。それは整然としたものであり、経営学のテキストとも思えるものであったが、経営学者が考え出したのではなく、経営危機に直面して、切羽詰まって作ったものであるから、まさしく役立つシステムである。
 中でも注目したのが、「コールド・アイ・レビューシステム」である。個々のプロジェクトを、冷たい目で監視しようというのだ。これも日本の組織では出来にくいことである。日本は、ウエットなウォームな社会であり、コールド、冷たいというのは、マイナスイメージがある。それを冷徹に評価するものとしてあえて取り入れたのだ。
 これは、会社が倒産に瀕したから出来たことであるだろう。大胆な変革を支えるのは危機である。危機というのは、企業が大きく変わる絶好のチャンスなのだ。それを遂行出来る人材を抜擢するのが、再建のカギとなることを、この事例が示している。
もう一つ、関さんが強調されて頭に強く残っているのが、クライシス・マネジメントである。同様な言葉でリスク・マネジメントがあるが、日本人はこれに強くはない。クライシスやリスクを直視して、それに対応しようとする姿勢が、普段から弱い。関さんは社員に、「自分の身は自分で守れ」と強く言って、その上でクライシスにいかに備えるかを会社としても周到に準備している。
 これから海外でのプラントやインフラの建設は、日本の最も成長性の高い分野として大きく伸ばしていく時代に入っていく。これまでは、千代田や日揮などの限られた企業が実践してきたのだが、これからは製造業の多くが取り組まねばならない。そこで、千代田化工建設に学ぶことは多い。
 関さんのお話しをお伺いしながら、流石に海外で大変な苦労をしてきた人は、考えようが違うと思った。レスペクト、クライシス、コールドなど、一般の経営者からはあまり聞けない言葉が次々に出たのだが、全体を通して、大きな目で見て、大きな所で考えている、それが卓越していると思って、これからの経営者に最も必要とされることであると強く感じた。


東レの炭素繊維開発小史、今日の挑戦/東レ 吉永稔氏

《と   き》2013年1月10日 
《講  師 》東レ(株) 取締役 生産本部(複合材料技術)担当 吉永 稔氏
《コーディネーター》放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

 「イノベーションフォーラム21」の2012年度後期の第3回は、「東レの炭素繊維開発小史、今日の挑戦」というテーマで、吉永稔取締役生産性本部(複合材料)担当にお話しを戴いた。
 この炭素繊維は、1950年代末に米国のUCC(ユニオンカーバイド)が最初に開発して、その直後に工業技術院大阪工業試験所の進藤昭男さんが開発を手掛けて大きな成果を上げて、それを契機として東レを始めとする日本企業が非常に大きな力をつけて、今も世界シェアの70%を日本が握っているという誇るべき技術である。
中でも東レが断然トップだが、炭素繊維による複合材料(CFRP)がいかに発展してきたのかという非常に詳しいお話があった。そこで私が強く認識したのは、これは非常に高度な複合技術であるということだ。材料について炭素繊維と樹脂で複合されているというのは、すぐに理解できることだが、全体の技術が非常に多くのものから成り立っていて、他の素材などには類を見ない高度な複合技術であって、それがまさしく日本の強みになっていると良く分かった。
 その複合技術の主なものを挙げると、まずは糸つまり繊維で、これが基本である。次にその糸をさまざまに処理するプロセスが必要であり、当然ながら糸を焼成する技術が大きな柱になる。さらにできた炭素繊維を織物にしたり、樹脂と一緒にプリプレグという板にする技術も非常に重要で、また当然ながら樹脂の技術も必要である。
 そして、材料としてより高度なものにするコンポジット、ハイブリッドの技術も必要になり、さらに材料としての評価・解析技術も不可欠であり、そのための試験法の技術も必要になってくる。これらの全てを東レは、自社で開発してきた。例えば、焼成とそのための炉は、繊維の会社である東レにはなかったはずだが、「私がやる」という研究者が現れて、見事にその部分を担った。このような多種多様な複合技術を完成させることができるのが、日本の強さであると強く感じた。
吉永さんは、このそれぞれの技術について、技術的に非常に細かに話された。いま、日本は韓国などへの技術流出の大きな問題に悩まされている。したがって、技術について具体的に細部にわたって話すのには慎重でなければならないという気持ちになりがちだ。ところが、吉永さんは一向に意に介さない話ぶりであった。
 私はそこで、フロアの皆さんに次のように申し上げた。この話を韓国の企業が聞いたとしたら、うちの会社で炭素繊維を本格的に開発するのはとても無理だ、東レに追いつくなどは至難だと思うに違いない、日本の企業は、これからそのような高度に複合的な技術に取り組むべきでしょうということである。
もう一つ、強く感じたのは、CFRPは非常にダイナミックな技術であるということだ。これからその応用は大きく広がっていって、乗用車が最も大きなものだが、パソコンなど情報機器の筺体にも応用が始まっている。そして、乗用車とパソコンでは、求められるものが性能、品質、生産法など大きく異なるのである。そのために広範囲の技術を開発しないといけないのであり、後発国が追いつくのは、これから長期にわたってとても無理である。
開発の初期の苦労話などの秘話は、多くはなかったので、いくつか質問をした。根本は、日本に繊維メーカーは多いのになぜ東レなのかと、ズバリ聞いた。そのきっかけとしては、素材となるアクリル繊維を“綿”にする技術は多くの企業が持っていたけど、東レには“繊維”にする技術があったのが異なる点だということであった。
しかし、やはり非常に大きいのは経営者であり、当時の経営者が炭素繊維に惚れ込んだということであった。きわめてコストが高くて応用も定かではないまったく新しい素材に夢を賭けたのだ。そして、焼成などの技術はまったくないゼロの状態から、クロウ(カラス)プロジェクトという、必要な全ての技術を開発しようという大型の開発を一挙に進めたのである。
その後の実用化、普及への道程は、量産が出来ず、用途がなかなか広がらず険しいものであった。それを支えたのが生産技術である。焼いた糸はすぐ切れてしまう、その問題などで悪戦苦闘したのだが、ついにやり遂げた。米国に加えて英国も炭素繊維に初期には非常に力を注いだのだが、成功には至らなかった。生産技術の違いが最も大きな要因であったように思う。
吉永さんは、機器メーカーと素材メーカーが、研究開発で密に協力し、共同することによって、画期的な新製品を生み出すことが出来ると繰り返しておっしゃった。航空機では、それが残念ながら日本企業ではなくボーイングであったのだが、これから日本のさまざまな企業が、CFRPによって、世界を制する画期的の新製品を生み出すことができるはずである。このお話がその契機になることと信じている。 (文責 森谷正規)


ミウラの小型貫流ボイラの進歩、M I システム/三浦工業訪問

《と   き》2012年12月14日

《訪問先 》三浦工業(株) 本社工場 (愛媛県・松山市)

《講  師 》代表取締役社長 高橋祐二氏 / 常務取締役 越智康夫氏
《コーディネーター》テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏

 

 2012年度「異業種・独自企業研究会」(後期)の第2回は、12月14日、松山市にある三浦工業の本社および北条工場を訪問した。三浦工業は、企業向け小型貫流ボイラーでトップシェアーを占めているだけでなく、顧客で使用している自社製品を遠隔管理、遠隔メンテナンスサービスを提供することによって、顧客のコスト削減に貢献し、業績を拡大してきた。今では様々な業種で行われるに至ったこの方法を、既に1989年に開始するという先進性・革新性を持っていて、現在でもその企業風土を維持し、新規製品、新規事業を創出し続けている。今回の訪問では、どうやってこのような先進的・革新的な製品やサービスを継続的に産み出してきたか、その背景にある経営思想の特徴は何かを少しでも理解したいという期待を持って訪問した。

 最初に代表取締役社長の高橋祐二氏より、「我が社の現状と成長戦略」と題する経営方針を伺った。
会社が成長してきた過程と鍵となった革新的な製品群、それを支える社員と企業ミッションの核心部分を簡潔にお聴き出来た。

 産業用ボイラーの国内市場では、静的シェアー(設置済みのボイラー)で40%、動的シェアー(新規導入のボイラー)で50%以上を占めており、海外の売上比率も増えている。産業用ボイラーの海外の顧客は、1万社以上ある。

 製品の内製化比率は高い。部品の信頼性を高くしようとすると、どうしても内製化せざるを得ない。

 2012年度3月期の売上は746億円、純利益は36億円で、ほぼ右肩上がりで増加してきたが、最近は、自社にはない商品や技術要素を有する企業とのコラボレーションを推進している。

 成長を支えてきた革新的な製品・サービスを年代別に列挙すると、以下のようになる。

  1. 1972年 石油価格が高騰した年、効率を85%に改良した製品を投入した。この時、ビジネスモデルと経営方針を大転換した。まず顧客に売る商品には、3年間の有償保守(ZMP)を義務づけた。また、企業内では小集団独立採算制を実施した。当初ZMPの義務化は自社、顧客双方に戸惑いがあったが、当時の三浦社長は「ZMPなしには受注しない」という方針を徹底したため、普及が進んだ経緯がある。小集団独立採算制は、それまでコストに関心が低かった部署が、コストを強く意識するようになり、採算性の向上に寄与した。
  2. 1978年 ローラー作戦を開始した。営業マンは、一人当たり1,000件のユーザー情報を登録、管理することにし、そのユーザーに自社製品の売り込み活動を行った。
  3. 1986年 ボイラー多缶設置(MI)システム特許が成立。従来の最大必要量に合わせた大型機から、必要なときに必要な量を供給出来る小型機複数使用へと顧客がシフトする大きなきっかけとなった。
  4. 1989年 AI搭載ボイラー開発により、オンラインメンテナンスを開始した。2012年7月現在で、約45,000台のボイラー等がオンラインメンテナンスの対象となっている。
  5. 2004年 低NOxボイラーSQ-2500を発売した。2011年には、SQ-3000を発売し、初期製品と比較し、蒸発量は350kg/→3,000kg/hと8倍以上に、効率は70%→98%と30%近く向上している。

 ビジネスでは、技術・営業・メンテナンスの三者が一体化した三位一体体制を維持している。貫流ボイラーで国内動的シェア50%以上を占めているが、ストックとしての(静的には)国内全市場推定22万T/hの内40%のシェアーなので、残る所に進出するとともに、新たな市場開拓も実施している。新たな市場開拓では、以下の4つを提案中である。

 ①  大容量ボイラーSQ-7000の提案
 ②  工場内トータルの水処理事業
 ③  熱エネルギーの有効利用
 ④  排熱回収ボイラーの提案

海外市場は、推定で米国43万T/h、中国80万T/hあり、現在拠点展開中である。適地適産をしながらグローバル販売網を構築している。販売とメンテナンスは16ヶ国で可能となり、海外に11社、6工場を有するまでになった。

グローバルな人材育成は必要不可欠なので、研修所を設置して世界の社員が生き生きと学べるように配慮している。研修者は毎年述べ5,000人に達し、全社員が毎年1回以上ここで研修を受けることが義務づけられている。

会社のミッションは、「お客様に対して、省エネや環境保全でお役に立つ」ことであり、そのための努力を怠ることはない。

取締役 執行役員 技術本部本部長 RDセンター センター長の森松隆史氏より、見学の概要説明がなされた後、2班に分かれてオンラインセンターと北条工場を見学した。見学したポイントのみ概略を記載する。

①オンラインセンター
 1989年にスタートし、現在45,000台以上の機器を管理している。顧客のボイラーを電話回線で24時間異常信監視し、情報はフィードバックする。問題が見つかった場合、まず電話で対応するが、必要と判断された場合には、メンテナンス員を派遣する。
 メンテナンス要員は全国で1,000人ほどおり、ボイラーの安定稼働のための対応をしている。顧客には、毎月ZIS診断結果を送付している。
 ここで特定の顧客のボイラーについて、稼働中のモニタリング状況を見た。
 異常受信のうち半数はセンター対応し残り半数を全国各拠点で対応している。センターで受けた異常受信のうち91%がモニター対応だけで済み、8%が電話対応、出向対応は1%未満となっている。拠点での内容は不明であるが、全国45,000台の管理数から言って、出向対応にまで至る前に解決していることが伺える。
 実際、オンラインセンターが稼働する前は、出向率が20%あったものが、現在では0.82%に低下しているとのことなので、顧客、三浦工業双方にメリットがあったことになる。

 故障が起きた場合の機器の保証責任は、保守契約で三浦工業が負うことになっているとのことなので、三浦工業はメンテナンス向上へ強い動機を持っている。 

②水分析センター
 ボイラー、水処理、クーリングタワー、地下水などの水質分析を行っている。サンプルは同形の採水容器に充填され、バーコードで管理されている。毎日平均2,500万本、年間60万本、累計500万本のサンプル水が診断を受けている。訪問日のサンプル数は2,906本あった。

 サンプルはバーコードで分別され、自動でフタが開けられて分取された後、機器で分析されるが、ルーチン化、自動化を徹底し、最大3,500本/日の処理能力がある。ここのデータ蓄積を、新規事業として、工場内トータルの水処理事業に活用していることが伺えた。

③小型貫流ボイラー生産ライン
 組立道場では、他品種少量生産に対応するための訓練を行っている。SQ型のベースでは7種類であるが、組み合わせを入れると1,000種類くらいは作っているので、これに慣れることが必要。

  • 前組み工程 バーナーや送風機などの取り付け。
  • 転造ネジ加工工程
  • コンベアライン SQ型の組立中。ラインの全長は70m、送り速度は3~15m/h。40kg/h~2,500kg/hのボイラを1日当たり約40台、年間約10,000台を、このラインで生産する。自動車や家電と比べると、動いていることが分からないほどゆっくりしている。
  • 試運転場 全数すべての項目をチェック。

 工場見学修了後、常務取締役 東日本・西日本・首都圏事業本部担当、BP事業推進本部 本部長の越智康夫氏の講演を伺った。以下講演の要点のみ概要を記す。

  • 三浦工業の設立は1959年であるが、元々はクリーニング店や豆腐店へのボイラーを供給していた。これを産業用へ転換を図ったのが、事実上の発展へ繋がった。
  • 事業セグメント別の売上では、ボイラーが50%、メンテナンスが34%(人員約1,000人)、ほかが16%の割合となっている。
  • 三浦工業の力は、技術力、営業販売力、メンテナンス力の一体化にある。従って、社員にはその三つをできるだけ経験させる。
  • 法的規格で小型ボイラーは優遇されていた。これに技術革新を加えて市場を取った。小型貫流ボイラーは熱ロスが少なく、これを多数使用して高効率の産業用の蒸気システムができる。そのため普及が進み、販売ベースで約95%が貫流ボイラーとなった。
  • 技術およびサービスの革新は、まず日本で開発し、それを世界へ展開してきた。効率アップで省エネを容量UPでコストダウン、ほかにもCO2ダウン、NOxダウンで環境貢献、品質向上で運転機会損失の改善などをしてきた。
  • SQ型では25ppmの標準低NOx性能を更に進め、超低NOxの1ppmを達成し、2009年に商品化した。
  • MIシステムは多缶を密着設置して省スペースを実現し、かつ省エネ・CO2の削減も可能となった。重油からガスへの切り換えを含めると、CO2の40%減少も可能。
  • メンテナンスの革新は、1972年に開始したZMP契約により実現した。それまでの壊れて直すサービスから、壊さないサービスへと転換した。
  • 当初は定期点検を年間4回行っていて、それを3回に減らしたが、さらに合理化して生産性をあげるためにオンラインサービスを開始した。正確なモニターには優れたセンサーが必要となったため、ボイラーに特有のスケールモニター用センサーは、自社で技術開発した。また、電子制御用ボードは、供給不安を解消するため、自社開発した。品質責任、供給責任を担い、メンテナンスコストを下げるために必要な技術開発は、基本的に自社で行うことにしている。
  • 1979年にはトリプル制度を始めた。3人が一組となり、独立採算の収益体質が実現した。一定のエリアを担当し、現在は一組4~5名となっている。
  • ゼロケミ水処理では、ヒドラジンを全廃させた。今では顧客の45%が採用している。
    これはスケール付着、腐食防止によって可能となったが、その背景には社内で培った脱O2装置、水質改善装置、高純度軟化システムなどを活用したことがある。
  • 天然物をベースとしたボイラー用薬品(ボイラメイト)で、ヒドラジンを全廃し、BOD、CODを大幅にダウンさせた。ゼロケミ水処理では、さらにBOD、CODを減少させた。今では大手顧客の約45%がゼロケミによる水処理を採用している。
    これは、顧客のデータ解析+基礎研究+独自の商品群(脱O2装置、水質改質装置、高純度軟化システムなど)+メンテナンスの組み合わせで実現出来た。
  • R&Dセンターは事業密着型組織で、横の連携によるシナジー効果を狙っている。手掛けるテーマは、1~5年先を視野に入れており、比較的短期志向である。
  •  これからは、顧客の工場インフラに対する熱・水・環境のトータルソリューションの提供を目指す。
  • 蒸気駆動エアコンプレッサー(SDC)で圧縮熱を回収し、蒸気エネルギーの利用価値向上を目指している。
  • 新しい取り組みをいくつか列挙すると、以下の通りである。
    業務用燃料電池 住友精密工業と共同開発中。5KWからの大型化を視野に開発を進めている。
    豊かで安全な暮らしに貢献する事業として医療、食品、環境、軟水の技術・製品を暮らしで活用する提案をしてゆく。
    医療 トータルの洗浄・滅菌システムの活用。減圧沸騰式洗浄器など。
    食品 トータルの食品加工システム
    環境 サンプリングカラム、前処理システムでコストダウンと品質アップ
    軟水 肌、ペットなど家庭用への応用

 講演終了後質疑応答の時間を持った。高橋社長、越智常務の講演に触発された質問が多く出たが、以下要点のみ纏めた。

①   新製品や新事業システムが継続的に商品化されているが、具体的にアイデアは誰が提案するのか、またどこでどうやって決定するのかのメカニズムは?
 → 新商品のアイデアは、研究員から、事業部から、上部からと色々なレベルから提案される。研究員からの提案は、事業部で検討し、顧客の意見を聞く。会社の基本が三位一体の体制なので、全員現場の事が分かることも決定する際のプラスになっている。

②   ZMPはボイラー以外の他の分野でも通用するか?
 → ボイラーは、壊れやすいのでメンテナンスの価値がある。また保守契約は高価ではない。メンテナンスコストを下げられたので、高くしなくても可能になった。水処理分野などでも着手している。

③   R&Dは50人位の規模で新しい商品をどんどん出している。その理由は何か?
 → R&Dの配置は3~5年で交代させる。最近は最大10年位に伸びてはいるが、配置転換は行っている。専門家として育てた方が良い場合には残すが、それでも1~3年間は外を経験してもらっている。それが良いのではないか。

 今回の訪問で、生産現場でないと馴染みの少ない産業用ボイラー及びシステムにおける技術革新、システム革新の核心を垣間見ることが出来た。クリーニング店や豆腐店などの民生用から始めたボイラー屋さんが、産業用ボイラーで国内トップのシェアーを有するまで成長し、更にグローバル展開を積極的に行うまで、様々な技術革新や事業革新を行ってきた経緯とそれを実現してきた技術者及び経営者の姿は、グローバル競争で後塵を拝し、迷路に迷い込んでいる企業には、目の覚めるような喝を与えられた思いがする。

 創業者であるトップの強いリーダーシップがあったとは言え、それまでの常識を覆し、顧客との保守契約締結を前提とした革新的なビジネスモデルを実現したことは特筆に値する。そしてそれが三浦工業のみの利益ではなく、顧客のメンテナンスコストの削減として実現したことは、三浦工業の「お客様に対して、省エネや環境保全でお役に立つ」というミッションがあって初めてぶれない経営が実現したのであろう。

 今回は単なる一企業の成功、発展物語の域を超え、社会に技術革新、事業革新で貢献することが企業発展の根本であることを事実で語りかけている。技術開発、企業経営に携わる者に対し、極めて重要な示唆を与えて貰った一日であった。(文責 相馬和彦)。

 

 

極細モヘア糸の開発と今日に至る軌跡、今後のビジョン 佐藤繊維訪問

《と   き》2012年11月22日

《訪問先 》佐藤繊維(株) 本社工場、三泉工場 (山形県・寒河江市)
 
《講  師 》代表取締役社長 佐藤正樹氏
《コーディネーター》放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

 2012年度後期の「異業種・独自企業研究会」の第1回は、山形県寒河江市にある佐藤繊維の訪問であり、佐藤正樹社長から「極細モヘア糸の開発と今日に至る軌跡、今後のビジョン」というお話をいただいた。
佐藤社長のお話は、最高に感激し、感動するものであった。熱っぽさでも、最高であり、また、話ぶりが非常に面白くて、何度も大笑いをし、涙が出そうになるほどであった。これは、後に述べるが、非常に重要なことである。お話で最も価値があるのは、いかにモノを作るか、いかにモノを売るのかの本質を見事に掴んでいたことであり、それを掴む道程が大変に厳しいものであったというのが、お話の神髄である。
 佐藤繊維は、正樹社長の曾祖父が起こした羊毛紡績業であり、近年はニット製品の糸とニットの完成品を作るのを主な業としていたが、30年前の全盛期が過ぎて、凋落を始めた時期に、正樹社長はそれまでの東京でのアパレル関係の仕事を辞めて、後を継いだ。それまでの製品の糸は、最もシンプルなものを大量生産するもので、中国などとの競争が最も厳しく、ニットの中心地であった山形の中でも、佐藤繊維はいち早く業績不振に陥った。
 そこで、正樹社長は編み機のコンピュータ化が始まった時期であり、そのプログラムに専心して、独自のデザインの製品を創り出して、評判が良くて会社の再建が可能かに見えた。ところが、すぐに模倣され、また製品を納めるアパレルメーカーは、まったく同様な製品をコストが安いニットメーカーに発注するのであり、アパレルメーカーの言いなりで製品を作ることの限界を感じて、業界の体質に大きな疑問を抱き始めた。
 正樹社長が独自のニット製品を出していたのが国際的にも注目され、イタリアの糸のメーカーから工場を見せてもいいとの話が舞い込んだ。そこで、実は糸のメーカーであることは隠して、有り体に言えば、技術を盗むつもりで訪問した。そこで、紡績機械を改造して生産している状況がしっかりと掴めて大成功であった。
 ところが、次第に内心穏やかでなくなって、これでいいのか、大いに煩悶し始めた。真似をして優れた糸を作っても、アパレルメーカーの言いなりになるままでは、何も変わらないではないか。さらに、イタリアのメーカーの工場長が、「我々が独自の糸を作って、実は業界を支配しているのだ」と大言壮語していたのが、頭にこびりついていた。
帰国の航空機の中では一睡も出来ず、行くべき道の決意は固まった。これは、お話の中の圧巻である。
続いての圧巻が、それまでシンプルな糸ばかり作ってきた頑迷固陋の技術者を、まったく複雑多岐な糸の生産にいかに向かせるかが大変なことであったが、これは長くなるので省略する。その代わりに工場見学でびっくり仰天したことを報告する。博物館でしか見れないような非常に古い機械が核となって、モヘア糸を生産しているのだ。聞いて見ればもっともであり、ひたすら大量にコスト安で生産することばかりを目指して繊維機械は高速化に進んできて、それでは、ゆっくりと引いていく極細の糸は出来ないのだ。廃棄された機械を買い集めた佐藤繊維は、それを他には真似が出来ないようにする武器としている。
しかし、会社は急には変われず、在庫の山となって、山形市や周辺の都市で大安売りをして大人気になり、一方で山を越えて酒田市まで行くとさっぱり売れない。そこで、いかにすれば売れるのかの本質を掴んだ。
さて、技術者がようやく本気になって独創的な糸を作る技術は出来たが、製品として完成させるのには5年間を要したという。それを、国内で走り回って売ろうとしたが、ほとんど誰も買ってくれない。
 そこで、誘われて思い切ってニューヨークの展示会に出すことにした。それで成功するのが、最後の圧巻である。これも長い話になるので、一つだけ紹介する。正樹社長の奥方はデザイナーであり、口説いて山形まで引っ張ってきたのだが、行商ではトラックの運転手など苦労をかけていた。そこで、ニューヨークでは、展示でドラマを作った。技術者の夫とデザイナーの妻が糸作りから始めて、ひたすらユニークなものづくりをこつこつと進めてきて、今があるというドラマである。これが大いに受けて、海外進出のきっかけとなった。
今では、シャネル、ニナリッチなど、世界の超有名な企業から引っ張りだこであるとなって、めでたしめでたしでお話は終わった。
お話が本当に面白かったが、これが物事の本質につながっている。良いものを作れば売れると思ったら大間違いだと正樹社長は何度もおっしゃったが、良い話であれば、それでいいのか、ぼそぼそと小さな声でしゃべったのでは、やはりこれほどの感動を与えることにはならないだろう。売り方、話し方こそが非常に重要なのである。
最後に余談を一つ。帰りの新幹線で山形牛の弁当を買った。山形駅を出るとすぐに、「米沢牛の弁当を仕入れるので、回って行く売り子に予約をしてください」とのアナウンスがあった。比べると、肉の量は米沢が倍くらいある。このような商売をしたいものだ。人気が高くて予約販売であるから、売れ残りがない。したがって、少しだけ高い値段で、とても良い商品が作れるのである。

森谷正規


カーボンナノチューブの実用化技術、導電性繊維の開発/茶久染色

《と   き》2012年9月21日

《訪問先 》茶久染色(株)本社工場(愛知県・一宮市)
 
《講  師 》ナノマテリアル応用開発事業部 事業部長 蜂矢雅明氏
《コーディネーター》テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏

 

平成24年9月21日に、愛知県一宮市にある茶久染色の本社工場を訪問した。茶九染色は大正5年に設立され、古くから繊維産業の盛んな一宮市で、天然繊維や合成繊維の染色を専門としてきた。どちらかと言えば、伝統技術を基盤としてきた企業である。そういう企業が、最新技術であるカーボンナノチューブ(CNT)を使用した導電性繊維を開発していると聞き、最新技術と伝統技術の組み合わせや開発を始めた経緯などに強い関心を抱いた。CNTコーティング導電性繊維は、第4回日本ものづくり大賞を受賞している。今回は技術開発の背景や動機を開発者個人からお聴きし、更には試験設備まで見学出来ることになったため、大きな期待を持って訪問した。

最初に本社工場の見学を行ったが、その際に印象に残ったことが二つあった。一つは途中で出会った社員の方々からどこでも気持ちの良い挨拶を受け、明るい職場だと感じたこと、二つ目は染色工程現場の床が綺麗に維持されていたことである。染色工程は溶媒や水の使用が多く、常に床が濡れて汚れているのが普通であるが、この工場では床は濡れておらず、乾いて綺麗であった。これらの点からも、茶久染色の経営方針とその浸透度の高さが納得出来た。

①   ショールーム

商品や特徴的な製造工程に関するサンプルや説明資料が展示されている。CNTコーティング導電性繊維、それを用いた融雪マット。化粧用の刷毛(PET製)、チーズ染色法、光沢型染色繊維、セラミック加工繊維(後加工)など。

②   試験室

車両や衣料用で、顧客の要求色に合っているかどうかを調べる。サンプル量は5g。ボビンに巻いて色合わせをするが、ここの特徴は、色が堅牢であること、納期が早いことである。注文を朝受ければ、夕方には完成品が出荷出来る。色合わせは、顧客の要求する色をコンピューターで解析し、使用する染料を特定するシステムを採用していて、2~3回のテストで色合わせは完了するが、最終確認は職人が目で行っている。

③   受け入れ工程

チーズは外注で巻いて貰っているが、染色が均一になるよう、どこを押しても均一の固さになるように巻いてある。

④   仕込み工程

染色タンクに仕込む際には、一本のセンター棒にチーズを6個通すが、センターが60本あるので、一回にチーズ360個が染色出来る。センターは中空で穴が開いており、染料液が中から外に流れる仕組みだが、均一に染色するためには、センターの穴(数、口径、位置)や流す圧力に工夫がある。

⑤   先掛けワインダー

細い糸の場合には切れやすいので、染色前にワインダーで纏めて柔らかく均一に巻く。

⑥   原料置き場

トヨタの指導を受けて、カンバン方式を取っている。染料はラックに収めてあり、PCの指示でラックから取り出し、必要量を計量する。指示と合わないとNOが出る。使用している染料や薬品には、国産品はほとんどない。中国製は品質が不安定。

⑦   染色工程

技術の中心となる工程で、染色タンク15台が2列に並んでいる。プログラムによる自動運転で24時間操業しているが、運転要員は2名。タンクが加熱されるため、室内の気温は45~50℃と暑い。床は2mほど高くなっていて、濡れておらず綺麗に維持されている。染色工程の良品率は90~95%であるが、不良品は追加染色したり、脱色したりでカバー可能なため、捨てるものは殆ど出ない。オーダーによって、ロット毎に仕込むチーズ数のバラツキが出てしまう。5S活動など、改善活動を継続している。

⑧   乾燥ライン

加圧して熱風で乾かし、風合いを出す。

⑨   染色工程II

100kg以下の少量染色の場合に使用するライン。

⑩   試作工程

1~15kg程度の量で車両用途の試作を行う。

⑪   取り出し工程

染色タンクからチーズを取り出す。チーズは1個の重さが1~kg程度あるので、横転機でタンクを斜めにし、取り出しやすく工夫している。

⑫   検査室

一番上と下のチーズを1個ずつ検査する。OKのものを、更に専門の染色技術者がチェック後に出荷する。

次いでCNT導電性繊維の試作機のある馬引工場を見学した。工程の目玉は、CNTを繊維表面に含浸させる方法で、色々と試した結果、超音波振動法に着目した。CNT分散液に繊維を含浸させる際に超音波振動を与えると、期待通りにCNTが繊維表面に付着した。CNTの濃度は約12g/kg液。それを二段階でゆっくり乾燥させてから巻き取る。この乾燥機がスペース的には大きな比率を占めている。試作機には、巻き取りロールが一段に6本並び、それが8段ある巻き取り機が2台設置されているので、全部で96本のロールで巻き取る。巻き取り速度は20m/minとゆっくりである。

 

工場見学から戻ってから、今枝憲彦代表取締役から、CNT導電性繊維の次のステップに期待しているとのご挨拶があり、次いでCNT導電性繊維の開発推進者であるナノマテリアル応用開発事業部 事業部長の蜂矢雅明氏より、「カーボンナノチューブ導電繊維製造開発」と題する講演を伺った。

茶久染色は、大正5年に一宮市で創業され、年商は13.8億円、従業員は75名である。事業の中心は天然繊維、合成繊維の原料染め及びチーズ染めであるが、糸染めは人手が掛かる、機械化しにくいなどの理由で海外生産に移行している。茶久は海外ではタイでチーズ染めを行っている。染め以外の機能加工として、耐熱、難燃、消臭・抗菌、撥水などの加工も実施している。

CNT導電性繊維研究のきっかけは、北海道大学古月教授の分散液の研究開発に遡る。先生が分散液は開発したものの、有意義な応用が見いだせないでいたものをクラレリビングより紹介された。クラレリビングでは合成繊維への練り込みを試みたが、アスペクト比が高いためにCNTが切れてしまっていた。これを茶久で高温、高圧の染色法でトライしたが失敗した。そこで発想を変え、染めるのではなく塗る方法へと転換した。これが大きな反響を呼び、本格的な研究を開始した。

研究を開始したところ、すぐに問題に突き当たった。まず、CNT分散液が1本の繊維表面に均一に塗布出来ず、水玉になったボロボロと落ちてしまった。増粘定着液を試行錯誤で当たり、何とかこれはクリアした結果、1本の繊維抵抗値ではあるが、帯電防止よりも導電繊維を目指せる範囲が出来た。次にマルチフィラメントにトライしたが、フィラメントの芯までCNTが到達せず、CNTの長さ方向の安定的なネットワーク、剥離への耐久性、耐水性付与が必要となった。この時に振動効果に着目し、CNTを内部まで浸透させることに成功し、ビート・プリント・マシンを開発した。この結果を基に協力者を得て、平成20年度地域イノベーション創出開発研究事業に認定された。

開発テーマとしては、繊維へのCNT精密コーティング技術を検討して来た。それぞれに以下のような目標値を設定し、一部は達成しつつある。

  帯電防止布帛用導電繊維  10⁵Ω/cm

    ベクトラン導電繊維    100Ω/cm

  複写機用ブラシ用導電繊維 10⁹Ω/cm

  発熱布帛用導電発電繊維  1000Ω/cm

発熱布帛では、北海道で「流氷のろっこ号」の水タンク凍結防止や道路の融雪マットで評価している。

非金属電線用導電繊維では、現状100Ω/cmの導電性を10⁰~10⁻ⁿΩ/cmに下げることが目標だが、モデル実験として銀を用いた場合、このレベルが達成可能との感触を得ている。

CNTとPET繊維の組み合わせでは、現在の加工方法の範囲でMWCNTを用いていては達成困難だと認識している。そのため、SWCNTの使用を検討している。目標値が達成出来れば、軽量、屈曲疲労に強い、腐食劣化がないなどのメリットが実現出来るが、課題もある。一つはCNTを工場で取り扱う時の、労働上の安全性だが、公的機関による計測では、下限以上の濃度でCNTが労働環境に浮遊していることはないとの結果が得られている。技術的には、CNTが高価であること、触媒を含むために精製が必要であるなどの課題を解決する必要がある。今後はこの目標を目指して邁進したい。

講演終了後、幾つかの質問が出たので、以下に要約する。

①   熱伝導も良さそうだが、それを利用することは検討したか?

→ 未だ検討したことはない。

②   コストはどの位になるか?

→ 織物の価格は安いが、最終価格は不明である。

③   CRT塗布のために界面活性剤を使用しているが、これをなくする可能性は?

→ 洗っても後で除去することは難しい。

④   外部からの関心は?

→ 電線代替については、中国から関心が示されたが、対応はしていない。

⑤   超伝導繊維の可能性として、銀をモデルにしたデモが示されたが、この製法は?

→ 銀ペーストを利用したが、予想以上に高い伝導性が得られた。

⑥   電線用途での目標値はどの位か?

→ まずは抵抗値を下げることに注力したい。

 

今回の訪問では、研究者のあるべき姿を久しぶりに見ることが出来、ほっとした感に包まれた。周囲からは困難とか無謀とか言われる高い目標を設定し、直面する課題に一つ一つ挫けることなく挑戦し続けるのは、並大抵のことではない。それを可能とするのは、研究者の夢と志、それを支える経営者の理解の二つである。どちらが欠けても、継続は不可能である。茶久染色では、その二つが共存している典型例を見ることが出来た。最近は、こういう例が極めて少なくなったという嘆きを多く聞くようになったが、今回の訪問で良い具体例をお聞し、安堵の気持ちを持って辞去することが出来た。成功までには、今後も多くの困難が予想されるが、「成功とは、成功するまで続けることである」という松下幸之助氏の言葉の通り、継続実施されることを祈念している。

(文責 相馬和彦)

 

 

テルモ独自の医療機器の開発、今後のビジョン/テルモ 高木俊明氏

《と   き》2012年11月5日 
《講  師 》テルモ(株) 取締役上席執行役員 高木俊明氏
《コーディネーター》放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

 「イノベーションフォーラム21」の2012年度後期第1回は、テルモ株式会社の高木俊明取締役上席執行役員の「テルモ独自の医療機器の開発、今後のビジョン」というお話であった。
 テルモは名前は良く知られているが、事業内容は詳しくは知らない人が多いだろう。医療の分野で大活躍している企業であるが、体温計の他は一般には馴染みが薄い。1921年(大正10年)の設立で歴史の長い会社であるが、よく知られているのは体温計である。テルモの名称も、サーモメーターのドイツ語読みから来ている。しかし今では、体温計は売上高では0・5%ほどに過ぎず、事業の主たる領域は、カテーテルに代表される心臓血管、血液製剤・血液治療・細胞培養の血液システム、輸液・栄養食品・糖尿病治療などのホスピタルの三つの分野が中心である。
 売上高は4、000億円に近いが、利益が600億円と利益率が非常に高く、やはり一般の製造業とは大きく異なる点である。売上高のほぼ半分が海外であり、グローバル化が最も進んだ企業である。
 医療機器は、厳しい立場に追い込まれている産業が多い日本にとって、これから大きな望みを託すことができる有望な分野であり、また、生命に関するものであるから一般の製造業とは異なる面が多く、その意味で大いに注目すべき企業である。
高木さんのお話は、創立からの事業展開、世界の医療産業と日本の位置から始まって、個々の事業内容、会社の理念と組織や具体的なマネジメント、海外展開、研究開発体制など非常に幅が広く、他分野にない特徴があり、しかも馴染みが薄い医療機器メーカーというものが良く分かる申し分のない内容であった。
一般の企業よりも特に色濃く出ていたように受け止めたのは、社会への責任を非常に重視していることである。基本はやはりモノづくりであるが、品質において完璧を期すことである。それは、命に直接関わる製品を作ることから来ている。その基盤になるのは、人である。
 そこで、新鮮な言葉であったのが、社員を「アソシエイト」と呼ぶことである。主従の関係ではなく、社員の一人ひとりが主役であることを社内に浸透させるための言葉である。品質の向上に、社員全体が主体的に取り組む姿勢を持たせるのである。
モノづくりに関しては、カテーテルとスタントについての詳しいお話があった。今では、その用語はしばしば耳にするが、非常に高い精度が要求され、また機能的にも進化を続けていることが良く分かった。これは、日本が大いに力を発揮出来る製品である。
もっとも、医療機器の全体においては、日本は高い技術的なポテンシャルを持っていながら、米国、欧州のメーカーに遅れている分野が多い。特に、ペースメーカーや手術用ロボットがそうである。質疑の時間に、その点について質問したが、日米欧の医療機器開発における国情の違いの一端を知ることが出来た。米国が大きくリードしているが、その大きな要因の一つが、高い技術を持ったベンチャー企業が多いことである。医療機器は、成功、失敗のリスクが大きく、しかも売上高は大きくはない。そこで、挑戦する主役はベンチャー企業ということになる。
 もう一つの要因は、安全に関する社会全体の受け止め方である。残念ながら深い議論は出来なかったが、安全を絶対視するがために、リスクを冒してでも挑戦する勇気が日本社会では生じないのが重大問題であり、日本の遅れの根因はここにある。政府なども医療機器産業を有望視してはいるが、この問題に踏み込まないと、明るい展望は開けない。
 マネジメントにおいては、理念を掲げているが、それを実現するための行動をいかに起こさせるかにおいて、具体的な実行手段をいろいろと考えているというのが強い印象であった。その一つが「5S」である。整頓などのSは古くから言われていて、新鮮味はないのだが、面白いのは「誤S」である。五つのSのそれぞれに並べているのだが、整頓に対しては整列であり、清掃に対しては掃除である。整列や掃除では駄目だというのだが、それはどういう違いか、お考え下さい。
 これは、掲げる理念や目標が言葉だけの浮いたものになりがちであるのを防ぐ有効な手段である。
 テルモは、これから有望な分野の素晴らしい企業である。 森谷正規

幹細胞による再生医療の最先端/東京女子医科大学 岡野光夫教授

 2012年度(前期)「イノベーションフォーラム21」の第6回は、東京女子医科大学の岡野光夫教授による『幹細胞による再生医療の最先端』というお話でした。
 これは、細胞シートを用いてさまざまな疾病の治療を行うという技術であり、再生医療は世界各国で進められていますが、シート状にして大きな面積にして治療の幅を大きく広げている技術を世界で初めて開発したのが岡野教授です。
 その画期的な技術がいかにして可能になったのか、岡野先生は最初に、混合と融合の相違を話されました。これが、この技術、この講演の核心であると、私は受け止めました。
 混合は、技術においては、異分野の技術を組み合わせるものであり、すでに広く進められています。それは、異分野の研究者、技術者の共同作業によって行われます。すでに非常に多くの成果が得られています。
 岡野先生は、融合は、その混合とは異なるものであると明言されました。融合とは何か、これは異分野の技術がまさしく溶け合うものであり、混ぜ合わさるのとは大きく違うとおっしゃいます。では、どのようにすれば溶け合うのか。それは、みなが力を合わせる単なる共同作業ではなく、一人の研究者、技術者が異なる分野の技術を完全にものにして、それを基に開発を行うことによって可能になります。先生は、「ダブルメジャー」という言葉を使われました。つまり、一人の人間が二つの専門を持つことです。
 その典型が岡野先生です。先生は、大学のご専門は化学でした。しかし、大学院の頃から、医療に結び付く材料の研究開発に取り組んで、やがて、東京女子医科大学に入られました。つまり、医療の世界にご自身で飛び込んで、医学にどっぷりと浸かることになったのです。化学と医学のダブルメジャーです。それこそが、細胞シートの開発に活かされました。
 日本は、内視鏡、CT、MRIなどの医療機器においては、世界で大きな力を持っています。これは、混合つまり共同作業で進められて、成果が上がりました。しかし今、患者を外から扱うのではなく、患者の、つまり人間の内部にまで入り込むことが、医療では求められています。言うまでもなく、遺伝子や細胞そのものを扱うのです。
 ところが、そこに医学ではなく、工学的な発想が必要になってくる場合があります。細胞シートがその典型です。再生医療の基になるのは、細胞です。医薬品や医療機器など、人間が作り出すものではなく、人間そのものを治療に利用しようというのが、再生医療です。
 しかし、細胞そのものはごく小さなものです。それでは限界があるので、大きくしたい。そこで必要になったのが、工学的発想です。工学は、モノをいくらでも大きくします。具体的には、小さく薄く作った細胞を奇麗に剥がして重ねるための化学材料を見つけだしました。それを、何層も重ねると大きなシートになるのです。
 医学的なニーズがある、それを工学的に解決出来ないかと模索して生まれたのが、細胞シートです。このシートの積層は、いま30にもなっていて、これは将来、臓器を作る可能性をもたらします。
 現状では細胞シートは、角膜、歯茎などから、心筋症、食道ガン、さらに肝臓、膵臓などの治療にまで進んでいます。要するに、細胞シートを患部にペタッと張るのです。重い心筋症のために、外置の人工心臓が離せず、外出が難しかった患者が、歩いて学会発表に顔を出せるまでに回復したという映像を見せていただきました。
 先生が所長をなさっている先端生命医科学研究所(TWIns)は、東京女子医科大学と早稲田大学が共同で設立した研究所です。数年前に、新経営研究会のこのフォーラムで、早稲田大学のロボットの研究開発で著名な高西淳夫教授にご講演をお願いして、早稲田にお伺いしましたが、高西先生はTWInsにも研究室をお持ちで、この立派な研究所を見せていただきました。これこそが、まさに融合の拠点です。
 このTWInsで、若い研究者たちが、張り切って斬新な研究テーマに挑戦しているのを見て、私は「ここには新しい風が吹いている」と感じて、それを早速、コーヒーブレイクに入る前に皆さんに申し上げました。日本全体に、新しい風を吹かせたいものです。

福島第一原発事故報告書に欠落している視点(株)ファンケル 常勤監査役 飛島章氏

 2011年3月、東日本大震災に伴う高さ13メートルの巨大津波が東京電力福島第一原子力発電所を襲い、1号機から4号機までの四つの原発に繋がる全電源が喪失したことで、放射性物質が撒き散らされる事故が発生した。事故発生から一年余を経過して、四つの事故調査報告書が発表されたが、私はいずれの報告書にも何か根本的なものが欠けていると感じた。ここ8年間ほど企業の監査役を務めてきた私の関心事は、事故直後から、当原発を運転していた東京電力株式会社(東電)は法的な責任をどこまで負うことになるのか?そして、このような過酷事故を起こした会社は存続できるのか?という点にあり、事態の推移と報告書の論点に注目してきた。

 原発事故に関わる法的な枠組みは、「災害対策基本法」並びに「原子力災害対策特別措置法」、そして「原子力災害賠償法」で規定されている。前の二法は主に災害(事故を含む)予防対策に重点が置かれ、後者は災害被害者への賠償責任について定められている。それによると、原子力事業者(今回のケースでは東電)は原子力を利用する事業所(福島第一原子力発電所)にて発生した原子力災害については、その事業者の判断と費用負担において全ての事後処理を行う責任を有すること、かつ第三者に与えた損害については、国が特別に負担することを定めたものを除き全額をその事業者が賠償すること、と規定されているのである。唯一の被爆国日本が原子力の平和利用という形で原発を日本国内に建設するに当って、「原子力で金儲けするような、けしからん企業は事故を起こした場合、全ての事故処理責任と賠償責任を負うべきだ。」という強硬意見に押し切られ、原発実現のために背に腹は代えられず、かような立法に至ったと聞いていたが、事故が現実のものになってみると、関連法令との間に矛盾が多くあり、実際に事故対応過程でほとんど機能しないことが露呈した。

 法的な枠組みで最初に湧く疑問は、「火災であれば消防が消化に対応するのに、放射性物質の被害が広範囲長期間におよぶ恐れのある、より深刻な原子力災害に対処する専門の組織が無くてよいのか」という点である。原発事故後に現場で事故処理を担当したのは東電福島原発の吉田所長を始め東電従業員とその下請け企業の人たちであった。彼ら(と彼女ら)の身を挺しての働きには頭の下がる思いであるが、彼らは発電所の通常の運転要員であり、発電所の施設の配置や配管、そして機器の内部状況については熟知していたかもしれないが、事故処理について事前にトレイニングを受けていたわけではなかった。また、東電が事故処理のための特別の設備や機器、要員を備えていたのでもなかった。事故直後に、ヘリコプターから水を掛けたり、外国製の超大型消防車を急遽調達し放水を試みたり、またアメリカ製のロボットで原子炉建屋内部にアクセスを試みた様子からも、東電や行政当局側に事前の備えがなかったことを、テレビ報道によって国民が知ることとなった。国民の多くは、その備えの無さ加減に唖然とし、底知れぬ不安感を抱いたのではないだろうか。

 事故に対する備えの無さについて東電の責任に言及するのは、現行法令の条項に照らせば当然のことかもしれないが、私には余りに一方的過ぎるように思える。一般に企業が実行する、事故の予防策や事後対応は「発生確率」と「コスト」との見合いで採否が決まる性質のものであるから、一事業者として自発的に実行することには限界がある。限界を超える事柄については、新たな法令で事業者に強制するか、あるいは行政や業界団体などが設立する組織などで対応するのが、近代社会の常識というものであろう。原子力事故は、機器類の欠陥、運転者のミス、あるいは自然災害が原因で起きるだけでなく、テロや他国からの攻撃が起因となることもある訳で、国民の生命と財産を守る役割を担う国の政府が主導して、事故や災害の被害の重大性の観点から予防策と事後対処策を講じるべきと考える。

 二つ目の疑問は、無限の賠償責任が原子力事業者にあることである。日本にある10社を超える原子力事業者のほとんどは、その株式を証券市場に上場している大会社である。民間企業は、会社の純資産額を上回る損失が発生すれば、いずれ破綻(倒産)する。決算で損失が明らかになるのを待つまでもなく、「多額の損失見通し」が示された段階で「株価の暴落」⇒「上場廃止」「信用不安」に陥り、損害賠償資金を調達することすら危うくなる。賠償見積り額が大きくなれば、原子力事業者側が「会社をつぶしてもらって結構」と開き直った途端に、「原子力災害賠償法」は機能停止に陥ってしまうのである。実際に本年8月、東電は国有化された。そしていずれ他の原子力事業者も赤字転落への恐れと資金調達に窮して、同様の運命を辿ることになろう。法令で原子力事業者に無限の賠償責任を押し付けてみても、いずれは国が負担することになるうえ、破綻する電力会社の経営を国がまるごと面倒をみることになるというのでは、まことに不合理極まりない。

 原子力安全委員会や原子力保安院の役割とは何であったのか?原発産業を育成する時代であれば、原子力事業者の立場に寄り添って技術の効率性や安全性を助言する役割であっても良かったであろう。しかし、日本が世界有数の原発大国となり、かつ地震などの自然災害の脅威にさらされている日本列島に位置することを考えるなら、被害者の視点から原発の安全対策を考え、新たな体制で原子力災害に対応する役割を担うべきではなかったか。今回の事故報告書では、原子炉本体や冷却装置類の構造上の欠陥や運転操作ミスが事故の直接的な原因であったという指摘はなかった。この点はスリーマイル島やチェルノヴィリのケースとは異なる。間もなく発足する原子力規制委員会が、全電源喪失を回避する方策や緊急時の「ベント」起動対策について対応することになるのであろうが、同委員会や原子力技術者の方々に期待したいのは、国民の安全確保という立場に立った「新たな技術マネジメント」のことである。日本では原子力関連技術の専門家と行政官僚、そして政治家(国会議員)との間のコミュニケーションが全く確立されていない。このため、原発という近代技術で生み出された文明の利器が有する事故のリスクと起こりうる悲劇に対し、国のレベルで有効な手が打たれていない。国民の生命と財産を脅かす被害を最小にするための知恵を結集する、技術と法制度を結合する技術マネジメントが必要なのである。

 もし、あの時までに「いかなる事故も起こりうることを前提に、過酷事故につながる事態を早期に収束し、被害を最小に抑える」ための備えをし、事前に訓練をし、万が一の場合の避難の計画を立てていれば、原発をめぐる状況はもっと穏やかなものになっていたのではないか。放射性物質による汚染から避難を余儀なくされた住民の人たちの物的心的負担は、ずっと小さなものになっていたのではないか。ガレキ受け入れに反対する住民の声も小さくなっていたのではないか。「脱原発」の大合唱となるような事態も回避できたのではないかと、私は考えるのである。国民の原発に対する厳しい意見は、原発の技術的な安全性に対する疑問からではなく、実は政府と、政府に対して法制度で枠をはめている立法府の、両者に対する不信感から生じているのではないのかと、私は考えるに至った。

 原発に関する国民の生命と財産を守るために企業を律する法制度を持っていなかったことが、今回の福島原発事故の最大の教訓であることを認識するなら、立法府はそのことを反省し、事故報告書に謳うべきであった。たとえ国の方向が「脱原発」に向かおうと、一度運転開始した原発は稼働非稼働にかかわらず、完全に廃炉処理が終わるまでの数十年間、福島原発と同様の、あるいはそれ以上の事故のリスクを抱え続けるのである。今からでも遅くないから、否、今だからこそ原発の安心安全を確保するための法制度の見直しに取りかかるべきではないか。

包みの技術を軸に、多様なニーズ・材料への対応に挑む / 東洋製罐

 2012年8月24日は、横浜市にある東洋製罐横浜工場を訪問した。東洋製罐は、金属缶やPETボトルなどの飲料・食品・生活家庭用パッケージの世界的メーカーとして知られている。飲料や食品の消費者として、缶・ボトルなどの包装容器に日常触れているものの、中味に対比して容器への関心度は必ずしも高くないのが現実である。近年の技術開発により、包装容器がガラスからスチール、アルミニウム、PETへと大きな変貌を遂げており、自動販売機とコンビニの普及と相まって、容器入りの飲料や食品による日常生活の利便性が格段に進歩した。その中心となって新商品を開発してきたのが東洋製罐であり、その優れた商品開発力の原点が何なのか、またどうやって継続的に新商品を開発してきたのかは、どの企業にとっても多大の関心がある。今回は横浜工場で、主力商品であるPETボトル、TULC缶、熔接缶などの生産ラインを見学し、新製品開発の歴史をお聞き出来ることを期待した訪問した。

 最初に経営企画本部 経営企画部 佐藤一弘部長より会社概況が説明された。部品、機械、製品などの主要企業8社を核とした連結企業は57社あり、人員は7,000人、売上は7,300億円。製品別では包装関係が6,102億円、地域別では日本が6,424億円と国内中心である。

 単体での売上は、3,251億円、人員は4,500人、国内に14工場を有している。容器の運搬は空気を運ぶようなもので、長距離の運搬はコスト的に不利なため、ユーザーの近くに工場を建てた。用途別では、飲料が69%、食品が18%、生活用品が8%等と、飲料用途が多い。容器の種類は、メタル、PET、フィルム(フレキシブル・パッケージ)などがある。海外生産は未だ低く、タイに集中しているが、中国へも進出した。

 次いで、辻裕英横浜工場長より、横浜工場の概要説明を受けた。横浜工場は1963年に設立され、敷地は63,475㎡、従業員は365人いる。第一工場で金属缶を、第二工場でPETボトルを年間21億個生産している。東洋製罐が開発したTULC缶は、アルミやスチールのような従来缶に比べて大幅な改善となった。従来法を100%とすると、炭酸ガス発生量は84%に減少し、水は0%と全く使用しなくなり、かつ廃棄物は0.3%に減少した。   

DVDによる横浜工場の概要説明があった後、工場見学に移った。

①   第二工場(PETボトル製造)

280㎤~2リットルのボトルを製造している。容量が小さくなると経済的に不利なので、どの程度の容量が現在では限界かと尋ねたところ、500㎤程度との返事であった
。これはPETボトルが米国で始めて市場に出た1978年に、筆者が独自に見積もった数字と一致したので、状況は当時と余り変わっていないと認識したが、後のパーティーで別の技術者に確認したところ、金型の改良によるプリフォーム数の増加(最大144個)等の技術進歩により、280㎤でも経済性が出るとのことであり、その後の技術進歩が確認出来た。

  1. プリフォーム成形工程 1回の射出成形で96~144個のプリフォーム成形が可能。
  2. 異物検査工程
  3. ノズル結晶化工程 高温充填の際に変形しないようノズルの部分を結晶化する。この工程の後一時保管し、次の工程にかけるプリフォームの温度を均一化させる。
  4. ブロー成形工程 
  5. ボトル検査工程 見学時に計器に出ていたブロー成形工程での不良率は0.00032%と低い。全工程でも0.1%以下。
  6. パレット包装工程

②   第二工場(TULK缶製造)

  1. プレス工程 金属コイルからカッピングに成型する。
  2. 絞り工程 カッピングを3段階で筒状に絞る。
  3. トリミング工程 縁を切る。
  4. 印刷工程 凸版印刷で8色の印刷可能。各社毎の異なるデザインを印刷する場合には、母型を手動で交換する。切り換え時の印刷間違えを避けるため、検出機能プログラムを動かすこともある。
  5. 外面研磨工程
  6. 缶口絞り工程

 

 工場見学修了後、常務執行役員 テクニカル本部 伊藤譲二本部長のご挨拶をいただき、次いで執行役員 テクニカル本部 末俊雄副本部長による「東洋製罐の開発、包みの技術を基軸に、多様なニーズ・材料に挑む」と題した講演をお聴きした。

 創設者高崎達之助の思想を反映したグローバル経営ビジョンは、「包みのテクノロジーを基軸として、人類の幸福・繁栄に貢献する先進テクノロジー企業をめざす」と制定していて、テクノロジー重視のものづくり企業としての姿勢が表現されている。

 会社設立は1917年、国内14工場を有し、海外は容器生産で8社、アジアが中心であるが、包装材メーカーとしては、世界で売上第三位の地位を占めている。

 PETボトルでは完全循環システムを採用しており、使用済みボトルから新ボトルに戻すため、PRT社でPETを分解し、DMT(Dimethyl Terephthalate)ではなくBHET(Bis-2-hydroxy Ethyl Terephthalate)に変換している。

 包装材料以外の新事業として、ライフサイエンス(細胞培養など)、ナノテクノロジー、IT分野にも挑戦している。

 研究開発体制としては、ネットワーク活用を重視している。グループ内に総合研究所を有し、新コア技術の研究を行っている。ここの成果をテクニカル本部に移管して、実用技術開発を進めているが、テクニカル本部でも必要あれば基礎研究から始めることもある。総合研究所は1961年に設立され、グループ8社で運営している。包装容器や新事業のために研究を実施している。

 東洋食品研究所では、食の資源・科学・加工に関する研究を行っており、容器内容物の殺菌法なども研究対象となっている。2010年に公益法人化され、東洋食品短期大学が付属している。

 テクニカル本部は1966年に発足したが、2012年に、それまでの容器分野別の組織が、技術分野別に改組された。7階建ての建物に入っているが、2階アネックスでは、顧客による充填・殺菌テストが実施されている。

 東洋製罐では、包装容器は生産と消費の橋渡しが役割と位置づけられている。日本には包む文化があり、卵のつと、おひねりなど一種の民族文化となっている。

 会社の歴史の中で、沢山の包装容器が開発・実用化されてきた。講演の中で数多くの開発技術・容器が説明されたが、ここではその中から極一部ではあるが、筆者の記憶に残ったもののみ記載した。

①TULC缶

1991年に上市し、その後進化・発展してきた。当初は内部に貼る延伸PETフィルムを購入していたが、無延伸フィルムを自社生産するようになった。絞り工程は当初3工程必要としたが、現在は1工程で可能。炭酸ガス発生量の減少、水の使用量ゼロ、廃棄物が0.3%に減少などの実績により、環境賞を2度受賞した。

軽量化では、熔接缶31グラム→TULC缶27グラム→TULC DC缶22グラム→TULC MIST缶18.2グラムと達成してきた。MIST缶は、陰圧缶でも打検(缶を叩いた音で欠陥を検出する検査法)が可能なように、微陽圧化したもの。

②   TEC200

リシール可能なキャップ付きTULC缶。

③   水無平板印刷

従来は凸版印刷で120線/インチで印刷していたものを、線数を大幅に増やし、しかも

水無平板で印刷が可能になった。ラベル缶には、グラビア印刷したフィルムを貼り付けている。エンボス缶では、陰圧缶ではキラキラ感を出し、陽圧缶では強度アップをしている。

④   プラスチックボトル

ボトルの開発は、バリア性をプラスチックにどう付与するかの技術開発史である。新製品として、検便、喀痰検査用の検査容器がある。技術開発例としては、複数の樹脂が境界部分で重なるように厚み変化をさせることで、容器色のグラディエーションが可能となった。PETにハイバリアー蒸着し、酸素、炭酸ガスの透過性を低下させた。オキシブロックでは、酸素吸収剤を利用し、熱いお茶の色が酸素で黒ずむことを防止している。圧縮成形法で、品質のバラツキの少ない工法を見いだした。取って付きのPETボトルでは、1.8リットル入りで10グラムの軽量化に成功した。

⑤   カップフレキシブルパッケージ

オキシガードカップ レトルトをホット状態で置いても、酸素による影響が少ない。

レトルトパウチ 電子レンジ対応のパッケージで、アルミ箔は使用せず、自動蒸気抜き孔が開いている。

⑥   充填・殺菌技術

酸素を入れない充填、アセプテック充填、NS充填(殺菌剤を使用しない加熱殺菌が可能)、自己陽圧化機能付与などの技術を開発した。

今回の訪問で、今まで飲料・食品の中味にばかり気を取られ、うっかり見過ごしてきた包装容器には、様々な先端技術や工夫がなされており、世界のトップスリー企業の一員として、東洋製罐が新製品開発の先頭を走って来たことが良く理解出来た。その背景には、創業者の志が企業のビジョンに反映され、それを技術開発で実現させようという経営者および技術者の強い意志があった。包装容器は、生産者と消費者を繋ぐ橋渡しであり、食品の味や安全性、耐久性を守るために必須の役割を果たして来た。運搬や貯蔵に便利な包装容器なしには、今日の消費文化はあり得なかったことを実感出来た。

 包装は、古来日本では相手への心遣いを表現する手段として、大切に守られて来ており、包装が文化として定着している。東洋製罐はその文化を、飲料や食品の流通段階で、消費文化を支える技術として普及させて来た。これからのグローバル競争の中でも、その精神を継続発揮し、日本文化としての包装容器で、世界のリーディングカンパニーとしての存在感を期待することが出来た(文責 相馬和彦)。

 

世界一の高さを誇るタワー 東京スカイツリーの建設/大林組 田辺潔氏

 2012年度前期 「イノベーションフォーラム21」第5回では、去る8月8日に、『世界一の高さを誇るタワー 東京スカイツリーの建設』のお話を、大林組建築事業部生産技術部長の田辺潔さんからお伺いした。
 その建設に採用された技術は、挙げればキリがない。心柱によるタワー全体の制振装置、頂部にあるゲイン塔の制振装置、ゲイン塔のリフトアップ工法、軟弱な地盤で強固な基礎を作るためのナックルウォール、クレーン積み荷の回転を防ぐフライホイール、日射で曲がる塔の精度を出すためのGPSの活用などである。
 この建設は、未知への挑戦である。例えば、500-600メートルもの高度であるから、自然現象も非常に複雑で、風はカルマン渦を生じて不規則に変わり、上部ではかなりの気温の低下があり、日射による曲がりもこれだけ高くなると相当に大きい。これらが建設作業に大きく影響する。
 また軟弱な地盤の限られた狭い土地であり、工事用地に余裕が無く、しかも周辺には住宅地や鉄道などがあって、それへの影響を極力防ぎながらの短期間での建設である。
このような状況であるから、次々に生じる難問を現場で一つ一つ解決しながらの建設であり、その労苦は想像を絶するものがある。しかも、工期は、東日本大震災で諸材料の納入が遅れたことがあって、2カ月だけ予定より遅れただけであった。
 このスカイツリーを完成させたのは、実に見事な組織力とリーダーである田辺さんの素晴らしい統率力である。私は、コーディネーターとしてのコメントに、かなり古い話ではあるが、NASAが行った『アポロ計画』にも匹敵すると述べた。この月着陸の壮大なプロジェクトについては、当時、このような巨大な組織力は、日本ではありえないだろうと言われていた。アポロ計画は、膨大な研究開発成果の結集であり、スカイツリーは、現場での非常に多くの問題解決の集積であり、内容には違いがあるが、組織力の成果であるのは同じである。未知への挑戦の面でも、同じである。
 このような現場が中心になる組織力は、日本は非常に高いのであり、これからさまざまな分野で発揮していくことができるだろう。
ただ、強調しておくべきことが一つある。それは、このスカイツリーの建設は、極めて大きなリスクを賭けての挑戦であったことだ。最後に田辺さんが漏らしたのだが、ゲイン塔は3000トンもあって、その吊り上げに際して何らかのトラブルがあって、地上に落下させてしまったら、その収拾は想像も出来ないほどの難じになる。大林組が、吹っ飛んでしまうことにもなりかねない。それを、社長はやると決断したのである。自社の技術力への絶大な信頼があったからだろう。

 このスカイツリーは、とても美しい姿を見せている。これも、日本の誇るべき技術である。こうしたタワーや超高層ビルなど非常に高い建築物はほとんど、鉄骨・コンクリート構造である。その方が技術は易しく、コストも低い。だが、スカイツリーは、鉄骨だけの構造で建てた。それが、非常に美しい姿をもたらした。

 中でも特記すべき、下部は三本の主柱による三角形で、上部にいくにしたがって円になるという複雑な形状にしたことだ。それによって、見る角度によって「そり」と「むくり」で構成されるカーブが微妙に異なってくる。この「そり」は、日本刀の曲線であり、「むくり」は寺院などの柱の膨らみの曲線である。つまり、日本の伝統的な美意識がここに再現されている。
なお、エピソードだが、建設中に、「曲がっています」、「傾いています」という見知らぬ人からの電話が時折かかってきたそうだ。場所によっては、そのようにも見えるらしい。
当初の予想の3倍もの入場者で、今は大盛況だが、やや収まったところで是非行きたいものだ。  (文責:森谷正規)

文責 森谷正規

 



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