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2009-03

わが心の栞(しおり)

 この「わが心の栞(しおり)」は、最近の’技術開発’とか’ものづくり’、 ‘事業経営’と’マネジメント’、そして ‘今日の世相’ とか ‘私たち人間や社会’ 、又 ‘ものの本質’ というようなことについて、私の日頃の徒然の思い、私の胸に深く刻まれた金言玉句を、断片的に綴ったものである。

 もともとは1982年、弊会が発足とともに発刊した弊会会報(現在休刊)の巻頭言として掲載した私の心の断片を整理、加筆したもので、2002年、弊会発足20周年記念特別出版叢書「ものづくり・科学技術創造立国 日本復活への指針」に「後書に代えて」と題して掲載した。つたない思いであるが、ご寛容をもってご笑覧いただければ幸いである。

 

ー わが心の栞 ー

感動 愛 希望 夢 未来 可能性

愛と夢 感動が全ての原動力

鍬を手にして夢見る人(リリエンソール;David E. Lilienthal)

悲しみも 怒りも いつか祈りにも似た夢になる

先ずは確固とした時代観と定見 そこから本質に根ざしたイマジネーションが生まれる

時代観とは 本来独自のもの

忘れてならないのは 時代を創っているのはわれわれ自身なのだ ということだ

全てを動かし変えるのは 情熱と意思 誠意 そしてモラル

言葉は大切 核心は的確な言葉を見出したとき捉えられる

生活者 それでは生活者の反意語は何ですか?

毛筋一筋 紙一重の違いが 実は天地の隔たり

全体を一つの思想 美意識で貫く

揺るぎないもの

芯と軸

徹底出来るか出来ないか そこが全ての決め手

証上に万法を顕らしめ 出路に一如を行ず(道元)

本質は 常に今 そこに顔を出している筈だ

掛け替えのない多様な伝統と固有の文化 そして歴史

伝統と個性 それは現わすものでなく 現われて来るものだ

個性と自我は異質のもの

我を忘れているとき 個性が現われる(川喜田二郎)

美と伝統は鋳型の中にない

われわれの核となるものは 各々の民族が各々の歴史の中で培い 発展させて来た そして今われわれの内にある この精神と美意識 感覚をおいて他にない

遠い記憶を呼び起こす この無性の懐かしさ 心の安らぎ 魂の震えは何処から来るのか

日本は美の中に真理を 真理の中に美を見抜く視覚を発展させて来た そのことを あなた方日本人に再び思い起こさせることは 私のような外来者の責任であると思います 

日本は 明確で 完全な何ものかを樹立して来たのです それが何であるかは あなたがたご自身よりも 外国人にとってもっと容易に知ることが出来るのであります

それは紛れもなく 全人類にとって貴重なものです それは 多くの民族の中で日本だけが 単なる適応の力からではなく その内面の魂の底から生み出して来たものなのです(ラビンドラナート タゴール;Rabindranath Tagore)

技術と’もの’ の背後にある 文化固有の美意識と価値観

不規則の中に美が現れる

不純物 夾雑音といわれるものが深みを生んでいる

持ち運べる音 持ち運べない音(武満徹)

刹那に生きることを強いられた 今日の‘もの’たちの悲哀と素顔

日々変わり 今日のものは明日はない

最近のものづくりに忘れられている ‘丹精’への期待と 時が磨き上げる美しさ

和紙は 年とともに 品格と風格を増し 美しく老いていく(安達以乍牟)

歳月とともに品格と風格を増し 美しく老いていく そのような素材と製品 私たちを取り巻く世界を 再び取り戻していけないものか

ものに求められている品位 感動と充足感

ものに映る つくり手の精神と内面の魂 手先 息づかい

普遍性 経済合理性の追求が いつか切り捨て 振るい落として来たものの大きさ

技術が 経済の手段に成り下がっていないか(榮久庵憲司)?

遊び 間 空白…

地球にやさしい? 何と身の程を知らない 軽い言葉だろう… 自然に対する畏怖 畏敬の念を取り戻さないと 自然はおろか私たち人間の心が 今に取り返しのつかないことになってしまう

人間の知恵というものが もっと自然のいのちを憶い 怖れるところから生み出され もっと自然と人のいのちが輝く方向に使って行けないものか

最近よく使われる 差別化という言葉

送り手の熱い思い 確固とした志から生み出されたものでなく 目先の競争と差別化が目的で生まれて来た技術 製品がどうして人々の感動を呼び そこに携わる人々の心を結集して行くことが出来るだろうか

「いのち」あるものを感じられず 背後にそれを生み出して来た人々の熱い思い ひたむきさ 精神性 そして其処に生きて来た人々の歴史を感じられないものを生み出し 囲まれつづけると 人はいつかそれに慣れて 心を荒廃してしまう

企業の命とは 企業規模の大小 ビジネスの如何を問わず それは企業が持つ夢と精神 この企業 或いはこの組織をこうあらしめたいと願う トップの強烈な欲求 その実現への揺るぎない確固とした意思である

技術・製品・事業・企業文化というものも この初めにある企業 そして そこに携わる人々の夢とフィロソフィー 精神の結晶に他ならない

如何なる事業を経営するにも その産業について独自の定見が不可欠である 同じ産業に属すると見られる企業の間に その産業についての考え方に違いがあれば それは最も強力 かつ決定的な形で 相互の競争力として現れる傾向にある
(スローン;Alfred P. Sloan Junior / With General Mortors)

最近 何故皆んな「自分の目の黒い内に…」とばかり 考えるようになってしまったんだろう

壮大な夢 悠久への眼差し

ものづくり 経済の世界に 迎賓の心を回復すると 世界が革新的に 豊かに広がらないか…

最近 厭われる街路樹の落ち葉 子供たちの歓声

全てが明るく照らされて 何も見えなくなってしまった

求められている 人類と地球の未来に貢献出来る 豊かな価値の回復と創造

次の世代に手渡すべき松明…

(新経営研究会 代表 松尾 隆)

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年とともに美しく、気品と風格を加え 老いる和紙

 かつて、越前和紙の中でも最高峰といわれる生漉奉書(きずきほうしょ/100%楮[こうぞ]で漉き上げる厚手の和紙)で国の重要無形文化財保持者(人間国宝) 九代 岩野市兵衛氏をその工房にお訪ねしたことがある。

 そこで、長い繊維が長いままに、制作のどの工程においても自然の繊維が自然の性質を損なわず、むしろより発揮出来るよう、自然の命に手を添えるように、納得いくまで時間と手間ひまを掛けて越前奉書が漉かれているのに感嘆したのは、まだ記憶に新しい。
 岩野市兵衛氏によって漉かれた生漉奉書の肌合いは、実にふっくらと柔らかい。

 この越前奉書に限らず、和紙の耐用年数は千年以上、洋紙は百年の単位であるという。

 和紙は今日、イタリアのシスティーナ礼拝堂などにおける文化財の保存・修理に不可欠の素材となっているばかりでなく、和紙が持つ基本特性と機能が注目され、電子・建材分野など、現代最先端のハイテク素材としても注目されている。

 しかし、私がこの和紙に大きな関心を持つのはそれだけではない。

 この越前生漉奉書で先代(八代)岩野市兵衛氏(水上勉の名作”弥陀の舞”のモデル、主人公の弥平その人)の代からのユーザーであり、この度ご同行いただいた(財)アダチ伝統木版画技術保存財団理事長の安達以乍牟(いさむ)氏によると、優れた生漉奉書は、年とともに、それなりに年をとって行くという。それは、優れた生漉奉書がひとしく備える品格とでもいうべきもので、その年のとり方は美しく、風格のあるもので、実に立派に年をとっていく。それは古陶磁器などにも通じるものがある。

 そういえば、浮世絵はこの越前生漉奉書に摺られるが、浮世絵の一つの大きな特徴は、その絵の具は紙の表面に留まらず、内部にまで染み込み、絵に現われている色は絵の具本来の色ではなく、紙の繊維とのコラボレーションによって生まれている色だ、ということだ。そして、紙の繊維と絵の具は、歳月とともに、寄り添うように品格と風格を増しながら美しく年老い、作品は更に落ち着いて、創作時よりも更に味わい深いものになっていく。

 思えば、ついこの間まで、私たちは、このように年とともに品格と風格を増し、美しく立派に年をとっていく様々なものに囲まれていた。身の回りの食器や調度・家具・道具にしてもそうであったし、寺社やその石段はもちろん、私たちの家屋にしても皆そうであった。街とか界隈といわれるものもそうであった。そこには、人々のこれまでの生活の歴史と息づかいが、共に記憶として刻まれていた。

 今、私たちを取り巻く素材・製品の殆どは、磨き上げたくともそれは劣化を速めるだけで、ある日、突然、醜くく疲労破壊してしまう。 

 年とともに美しく、気品と風格を加え 老いていく、そのような素材・製品というものを、私たちは再び取り戻していくことは出来ないものか。

 「時が育てる美しさ…」、この言葉を、私たちは、今、噛み締めてみる時に来ているのではないか。

(新経営研究会 代表 松尾 隆)

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5000年の歴史への挑戦、鉛フリーはんだの開発と世界展開

と き :2009年2月18日
会 場 :東京理科大学 森戸記念館
ご講演 :パナソニック(株) 生産革新本部 実装技術研究所 参事 末次憲一郎 氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏

 21世紀フォーラムの2008年度後期第6回は、パナソニックの生産革新本部・実装技術研究所参事である末次憲一郎さんの「5000年の歴史への挑戦 鉛フリーはんだ開発と世界展開」と題するお話しであった。
 まず自己紹介から始まったが、京都大学に入学して、ノーベル賞の湯川博士の講演を聴く機会があり、終わった後で質問に立ち「世の中で最も大切なものは何ですか」と問うと、「大地に両足で立つことです」との言葉をいただき、「私はそれを生きていく信条にしている」との感銘を受けるエピソードが紹介された。
 1980年に松下電器に入社して、生産技術研究所に配属されたが、樹脂、金型、光ヘッド、カラーフィルター、半導体の自動化、自転車とじつにさまざまな技術を次から次へと担当してきた。91年に、回路実装技術研究所に転属になり、94年から鉛フリーはんだ技術の基礎研究に着手した。
 はんだは、鉛37%、錫63%の組成であるが、これは古代からそうであったという。鉛の実用の歴史は非常に古いが、健康への被害も早くから出ていたようで、ローマ帝国ではワインを甘くするために鉛を入れていて、暴君ネロも鉛に頭をやられていたのではないかと言われる。ベートーベンの頭髪からは、通常の100倍もの鉛が検出されたという。晩年に精神が異常気味であったのは、そのせいらしい。日本では、白粉に鉛が入っていて、江戸時代からお女中などに被害があったことが知られている。
 だが、鉛の規制が始まったのは、ごく最近である。なぜ非常に長い間、放置されていたのか、不思議ではある。1989年から規制の動きが生じたが、米国では、93年に議会で問題として取り上げられたものの、対応が困難であるとギブアップされた。96年になって、EUで自動車に対する規制が始まり、2003年のRoHS規制で、鉛使用の禁止への動きは本格的なものになった。 末次さんは、研究にいち早く着手したのだが、1995年1月17日に生じた阪神淡路大震災に遭遇して、決意を固めたという。被災の現場で、電機製品が雨に打たれている状況を見て、鉛成分が溶け出すのではないか、自分たちの飲む水にも混入するのではないか、それは絶対に防がねばならないというのである。
 鉛をなくすには、錫に何を加えるかが問題になる。亜鉛、銀、ビスマス、インジュームなどを加え、その配合を変えて、実験を進めた。はんだが溶けて、濡れ上がり、濡れ広がりがどれほど生じるかが問題だ。それが大きくないと、はんだの性能が得られない。メッキの材質との相性や耐熱性も問題になる。
鉛をなくすことによる難問は多いのであり、その開発には三すくみが生じた。関連するのが、はんだのメーカー、部品メーカー、セットメーカーであるが、どれも強いリーダーシップを取れないのである。

   そこで、セットメーカーである松下が、自ら始めるしかなかった。96年に光ディスク事業部に働きかけて、ともかく量産製品で、世界初の鉛フリーはんだの採用を実現させた。もっとも700台であり、多くはない。だが、始まったものの設備などのインフラが整わず、広がっていかなかった。やはり三すくみであった。末次さんは、やむなく工業誌への論文投稿をしていた。
98年になって、再び動き始めた。まさしく大量生産のMDへの採用を事業部が決めたのである。工業誌の論文を見たのであり、環境に良いというのは立派な付加価値であるとして、鉛フリーはんだを採用することにした。末次さんと打ち合わせをしていて、他社もやり始めていると知って、やるからには一番乗りと、その場でケイタイで上司に電話をして決めた。末次さんの強い思いが伝わったのであろう、地震現場で誓った願いが叶ったのである。
 それまでの研究成果から、このMDでは、錫、銀、ビスマス、インジュームの組成のものを採用した。この組成のはんだは、後に非常に高く評価されて、米国IPC(電子機械実装工業会)の特別賞を2000年に受賞したが、ライト兄弟の偉業に匹敵すると称えられた。
その後の展開は急速であった。松下では全社プロジェクトを組んで、一気に12000種もある全製品に広げることにした。そのために、はんだのテクノスクールを設けて、新しい技術であり実用に当たって多くの問題を抱えている鉛フリーはんだの技術を、現場に広めていった。その松下の組織力はじつに見事である。それによって、はんだづけの不良率が下がったという。これを契機に、はんだの技術をより深めたのである。
鉛フリーはんだは、やがて世界に広がった。なにしろRoHS規制があるから他の国も懸命にやらざるをえない。日本ではJEITAが普及に力を注ぐようになり、積極的に海外の企業との連携を深めていったが、2001年にはワールドサミットが開催された。普及をいかに進めるかのワールドロードマップをつくるのだが、日本がリーダーシップを取り、日本で開催された。国際的な基準や規制で日本がリーダーシップを取るのは珍しいことであり、日本が技術で断然リードしていると、それが可能である。末次さんは、引き続いて開催されているこのワールドサミットの中心メンバーである。
 鉛フリーはんだは、これで完成したのではなく、RoHS規制の2010年の新しい基準に向けて、高温はんだなど新しい技術の開発が必要になる。日本企業の全体で、そのための努力が必要であると、末次さんは強調された。
森谷正規

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省エネの液晶、創エネの太陽電池 シャープの21世紀ヴィジョン

と   き : 2009年2月13日
訪 問 先 : シャープ(株)亀山工場
講   師 : 取締役 専務執行役員 太田賢司 氏  
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)

 2008年度後期の第5回は、平成21年2月13日にシャープの亀山工場を訪問した。 
シャープ亀山工場は、開発部門と生産部門間で密接な擦り合わせが常時行われることを狙い、又、デバイスと商品を互いに競わせ、部門の壁を超えた‘ものづくり’の強みを発揮させることを狙い、徹底した生産革新と物流及び生産・検査工程の合理化を図った世界初の画期的垂直統合型液晶テレビの一貫生産を実現した工場で、この最新鋭液晶工場建設時には海外競合企業の注目の的となり、工場資材搬入時の隠し撮りをされるなど新聞報道されたことはまだ記憶に新しい。
 そもそも1953年、国産初のテレビを生み出したのも、又“ブラウン管から液晶へ”の流れを加速させて液晶テレビ市場を切り開き、大型液晶テレビ市場を自ら開拓して来たのもシャープであった。
又、2005年12月、同社の電卓技術開発はその後の半導体と液晶の発展の起点ともなった「歴史的偉業」であったとIEEEより認められ、「マイルストーン賞」を受賞した。
   創業時、シャープペンシルからスタートした同社であったが、時代を画するヒット商品を辿っていくと、液晶にしてもその前の光ピックアップ用半導体レーザーにしても、何れも必ずシャープのデバイスに行き当たる…、というのは何故だろう。ソニーがCD開発時、その肝心のソニーは未だ半導体レーザーを持っていず、ソニーが開発した世界初のCDプレーヤーにはシャープの半導体レーザー(世界初)が搭載されていたのである。
以上のような背景もあり、今回の亀山工場の訪問は大きな期待と共に、長い間、同亀山工場には外部者立ち入りが困難であったことも反映されたためか、参加者数は72名と最近の研究会では珍しい多人数となった。
最初に取締役 専務執行役員で技術担当の太田賢司氏より、「省エネの液晶、創エネの太陽電池」 ~シャープの21世紀ビジョン~ と題した講演をいただいた。シャープは1912年に創業され、2007年度の売上が、単体で2兆7688億円、連結で3兆4177億円に達している。従業員は同年度の単体で約22,000人、連結で約50,000人の規模である。
業務内容は技術の進歩および時代の変化によって発展し、1958年にはテレビ、ラジオ製造、1976年にはこれに音響製品が、1986年には更に情報機器がプラスされ、この年に部品から最終製品までの垂直統合生産に踏み切った。1996年には、更に携帯機器が追加された。この間、アセンブリ生産から電子デバイス生産へと業務内容が発展すると共に、部品の垂直統合生産が加速された。
   1998年8月には、当時の社長がブラウン管テレビ全廃を宣言し、思い切った発表に社内に衝撃が走った。その後社内で液晶技術の進歩と製品開発を可能にしたのは、このトップダウンによる社内の意思統一が原動力となった。この宣言の伏線として、社内ではその10年前に、LSIから液晶へ軸足をシフトしていた事実があった。2001年には最初の液晶テレビの発売に漕ぎ着け、それ以降液晶へのシフトが加速した。当初は、20型から26型までは液晶で行けると踏んでいたが、30型以上は別方式の可能性があると予測しており、現在のような大型にまで液晶が普及するとは思っていなかった。15年前頃から、携帯などの液晶応用製品が拡大したことが、その後の液晶テレビの追い風になった。

   液晶の生産は最初枚様式が有力であったが、生産速度から枚様式では無理と判断し、ガラスの大型化へ切り替えた。G4時代(68x88cm)に次のG6(150x180cm)を検討するなど、常にその次を狙った技術開発を継続実施した。シュミレーションではG8(216x246cm)が限界と考えられたが、堺工場の新設備ではそれを超えるG10(285x305cm)を予定している。
ブラウン管の時代には、シャープはブラウン管を他社から購入してテレビを組立てており、自前のものを持ちたいという願望を長い間持っていた。それが液晶で漸く実現した。液晶の開発にはそれだけの思いが込められている。
今後の技術開発としては、二つの方向を考えている。
①環境、エネルギー、健康にエレクトロニクス技術を応用する。
②太陽電池の普及。多結晶でスタートしたが、薄膜、化合物、集光など様々な技術を検討しており、この中の薄膜は堺工場で生産を予定している。太陽電池事業は、2007年までの累計で2GWに達し、事業規模としても1,500億年のビジネスに発展した。
亀山工場は敷地が約10万坪あり、液晶第一工場が2004年から、第二工場が2006年から稼動している。様々な省エネ設備、安全対策設備を保有していて、太陽光発電で5MW、コジェネで24,400KW、燃料電池で1,000KWを供給している。燃料電池は国内で最大規模。瞬時電圧低下防止対策として、超伝導を利用した技術を使っているが、これは世界でも最大規模である。工場廃水は100%リサイクルされ、第一工場で13.5Kton/D、第二工場で33.0Kton/Dに達する。また地震、落雷などに対する防災対策、エネルギー源安定対策も行なっており、設計時から災害が起こっても数日以内で立ち上げ可能な目標を立てていた。実際に地震があったが、第一工場は翌日、第二工場は当日夜には立ち上がった。
堺事業所は環境配慮型のコンビナート構想に基づき、液晶と薄膜太陽電池の生産を予定している。敷地は127万㎡(38.5万坪)あり、2010年3月の稼動を予定している。海岸にあるため、津波や高潮対策も必要であり、地震対策は亀山と同じ対応を取る。
今後の開発方針の進め方としては、以下のように考えている。
①環境・エネルギー分野で、シャープ一社の単独実施ではなく、他の組織とのオープン・イノベーションを追求する。
②グローバル展開では、その地方の通念、文化、風土に合った展開を行なう。
太田専務の講演終了後、限られた時間内ではあったが、質疑応答を行なった。エレクトロニクス分野は、近年新規の大型商品がなかなか出にくくなっている。またメーカーは従来ハードの製造販売をメイン事業として来たが、netbookの躍進やビデオ・オン・デマンドの進歩など、ネットの普及と高速化によりハードの役割が低下しつつある。そのためハードを売るだけでなく、iPodのように使い方やソフトとハードの融合(iTunes)も考えないと、今後の伸びが困難な変化が起こりつつあるように見える。このような環境下で、シャープは今後どのような技術開発・事業展開をおこなっていこうとしているのかを質問した。これに対して太田専務からは、①先進国では新製品が難しいので、発展途上国で必ずしも先端技術でないものでも、その地域に適したものをグローバル展開する、②日本国内では、異業種と組んだ境界領域での展開を考えており、研究者も研究所内に閉じこもるのではなく、今までの領域から一歩踏み出す、という極めて率直な回答を得た。
ビデオによる工場概況の説明があった後、3班に分かれて工場見学に移った。見学した設備の概要を以下に纏めた。
①コジェネ設備
ガスエンジン発電機が5台あり、都市ガスを使用している。
②燃料電池
Fuel Cell Energy社(米国)の燃料電池が4台設置されていた。
次いで第二工場に移動し、設備および展示品を見学した。
③制震ダンパー
地震対策として建物に組み込まれている制震ダンパーの実物を見た。第二工場には全部で500本設置されており、震度7の揺れを震度1に制震出来るとのこと。実際に起こった地震でダンパーが少し動いた後が残っていた。
④108型の超大型液晶テレビなど、最新鋭の商品展示。
⑤シャープペンシル(1915年)、白黒テレビ(1953年)、電卓(1973年)、液晶テレビ(1987年)など歴史的な第一号機の展示コーナー。
⑥液晶の原理説明パネル。
⑦新型アクオスの展示。画像が極めて鮮明で綺麗。
⑧インフォメーション・ディスプレイ
⑨シートコンピューター、CPU(8ビット、2002年)、携帯ゲーム用ディスプレイ、3Dディスプレイ、デュアルビュー・トリプルビュー液晶ディスプレイ、インパネ液晶などテレビ以外の部材・液晶ディスプレイ。
⑩液晶製造工程
液晶製造工程の一部を窓から覗いた。従業員は見られず無人。ただ製造スケジュールの関係で、機械は動いておらず、実際の工程詳細はビデオで見た。
⑪屋上の太陽光発電システム
工場の屋根を太陽電池が覆っている。47,000㎡で5150KWの発電能力がある。得られた電力で噴水を飛ばしているが、丁度曇天だったため噴水の勢いは弱く、天候の影響が如実に観察された。

   本日の講演および工場見学で見られたように、常に新しい技術に挑戦し、それを市場へ提案し続けるシャープならではの企業風土、ものづくりへの思いを強く感じることが出来た。「需要は自らつくるものである」(辻元社長)のような言葉がどんな風土から出てきたのか長年知りたいと思っていたが、本日の太田専務の講演から、その一端をうかがうことが出来た。今日のエレクトロニクス産業を取り巻く環境は、極めて厳しいものがあるが、シャープの企業風土であれば、これからも変化に立派に対応していくであろう。ものづくりの基本は独自の技術開発にあることを再確認し、また部品開発は他社に任せ、自社では組立をやっていれば良いという近年の風潮に対する警鐘も実感することが出来て、期待通りの有意義な訪問となった。

(文責 相馬和彦)

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