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2007-07

光をコアに未知未踏領域に挑み続けて

と き:2007年6月26日
講 師:浜松ホトニクス株式会社 代表取締役社長 晝馬輝夫 氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
 

 「21世紀フォーラム」の第三回では、浜松市に浜松ホトニクス、中央研究所を訪ねて、晝馬輝夫会長兼社長のお話をお伺いし、研究所の主な研究成果を見せていただいた。浜松郊外の丘陵地の頂上という見晴らしが良い素晴らしい立地であり、浜松ホトニクスの社業の威勢の良さを思わせるものだ。隣接してPET検診センターがあり、この革新的な医療設備でガンや認知症の診断、早期発見の医療活動を行っていて、カミオカンデ、スーパーカミオカンデを越える浜松ホトニクスの新しい領域開拓を示している。
   晝馬会長のお話は、宗教心から始まった。キリスト教は心の底から信じ込んで、絶対的な愛を持つべきものであり、仏教よりはものづくりに向いているとの説を述べられた。福音書を毎夜お読みになっていらっしゃるとのことであり、実業に偉大な成果を上げた方の進む方向として、深く思わせるものがあった。それは、晝馬会長が成し遂げられたこれまでのお仕事ともかかわってくるように思う。光技術を通して新しい産業を興す、その先頭に立つのだという強固な信念をお持ちであり、それは、人の役に立つ新しい技術を開発すれば、それを用いて儲ける企業が次々に生まれて自ずから産業が発展して、自分たちも業が成り立っていくというものである。まず、人を思い人の役に立つというのは、宗教の基本である。
   東京大学の小柴昌俊博士がノーベル賞を受賞されたカミオカンデ、それを格段に高性能化したスーパーカミオカンデの話もでたが、そのカギとなる超大型光電子増倍管で、浜松ホトニクスは資金不足の東京大学に、まるで奉仕をしたようなものである。まさしく人の役に立つ仕事を、それもノーベル賞に結び付くきわめて価値ある仕事を成し遂げたのであるが、広く長い目で見れば、自分たちの業にも役立つことを見事に実証したと言える。
   晝馬会長は、光というものを光子を中心にCGで原理から説明しながら、浜松ホトニクスが取り組んできている最新の分野について、雄大な構想を具体的な話としてざっくばらんにユーモラスな口調で示された。既に大きな成果が上がっているのが、PET(ポジトロン・エミッション・トモグラフィー)であり、宇宙の次ぎには人間に狙いを定めたのだ。この革新技術の医療機器、診断装置は、確実にガンなどの早期発見を大きく進歩させる。PETは開発しながら従業員の検診に応用して、着実に成果を上げた。高齢化社会において、早期発見、早期治療の重要性が非常に大きくなり、それに大きく寄与するのがPETである。このPETの次なる課題は脳であり、アルツハイマー病の診断、治療に大きく寄与していく期待がある。ガンもアルツハイマー病も治療には革新的な医薬品が必要であるが、浜松ホトニクスとしては医薬品メーカーとの共同開発を進めたいとの強い願いを述べられた。
 そして光の応用は植物に広がっている。浜松ホトニクスは早くからイネのレーザー光による工場栽培を行ってきており、わずか三カ月という短期間での収穫の成果を上げている。ユニークな植物工場の可能性を示しているのであるが、そのエネルギー源としてレーザー核融合の開発に挑戦しており、その原理から始めて仕組みを詳しく述べられた。晝馬会長は、各分野の最先端の主要な研究開発を自らが総リーダーとして進められているのであり、したがって開発に関する説明がとても具体的である。この植物工場の実現にはいまの電力よりはるかに低廉なエネルギーが不可欠であるが、それを核融合で得ようというものである。さらにイネなど食料ばかりではなく、植物を膨大な量で生産して、それを用いて石油代替物質や工業原材料までも植物工場で作り出そうという。日本が資源を作り出すことができるというのである。もっとも、核融合は実現するとしても今世紀の後半といわれるが、晝馬会長のレーザー核融合にかける夢は限りなく大きい。
   その夢と現実のビジネスが調和しているのが、浜松ホトニクスの凄いところである。夢に挑戦して、また人に役立つことをモットーとしていて、長年にわたって赤字を出さない経営を達成しているのである。その凄さを、豪快な晝馬社長は何事もないかのように見せる。光の無限の可能性を信じて、それを切り開いて行く堅実な手段が、光産業創成大学院大学の創設である。浜松ホトニクスの社会貢献の一端として、浜松市に設立したのだが、晝馬社長が理事長を務めており、ニーズ、シーズの融合と起業実践を謳っている。
   中央研究所の見学では、極微小な光の検出、レーザー光通信、光コンピュータなど多くの基礎的な研究を見せていただいたが、光技術にはさまざまな可能性があることが実感できた。光産業の輝かしい将来を知ることができた一日であった。

森谷正規

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伊勢神宮と式年遷宮

と き:2007年7月6日~7日
ご挨拶:伊勢神宮大宮司 鷹司尚武氏
ご講演: 同 前大宮司 北白川道久氏 他
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
 

 「21世紀フォーラム」の第4回は、二日間にわたっての伊勢神宮への訪問であった。ところで、私たちは普通伊勢神宮というが、正式にはただの“神宮”である。つまり、ここ伊勢の神宮は日本にある神宮すべての本家なのである。そして“神宮”は、式年遷宮を行うことで知られている。20年を経ると、正殿をはじめ御垣内の建物すべてを新造し、宇治橋の架け替え、又は大修理、さらには神々の御装束や神宝を新調して、ご神体を新宮へお遷しするのだが、それによって技能、技芸、精神、文化全般の伝承が可能になる。この1300年にもわたって続けられて来た伝承こそが、私たちが大いに学ぶ面である。第62回目の遷宮が行われるのが6年後の平成25年。今そのための準備が進められている。
   初日は、梅雨の合間の青空の下で、清澄な水が流れる五十鈴川にかかる宇治橋を渡って内宮(皇大神宮)に参詣した。 ここには天照大神が祭られていて、御垣の最も中心を内院と呼び、天皇が参拝されるときとお祭りのとき以外入ることの許されない聖域となっている。ここに唯一神明造りの正殿が南面して立ち、その後方に正殿と同じ神明造りの東宝殿と西方殿がそれぞれ南面して立っている。正殿の萱葺きの屋根には鰹木が10本並び、東西の両端に千木(ちぎ)が聳え、その先端は水平に切られている。この屋根を東西の両側から支えているのが棟持柱、正殿は檜の白木と丸柱を直接地中に埋め込んだ掘ったて式の建物である。
   敷き詰められた玉砂利を踏んで歩く参道の両側には、樹齢が千年を越えるであろう巨木が続いて、自ずから敬虔な気持ちになる。内宮では、神主に導かれて境内に入って二礼、二拍、一礼を捧げた。まったく同じ大きさの今は何もない敷地が隣接していて、遷宮を可能にする独特の配置になっているのに、なるほどと思う。
 その後、神宮徴古館(式年遷宮で撤下された御装束神宝をはじめ、神宮の歴史を物語る資料・工芸品が展示されている博物館)に移動して、北白川道久前大宮司(写真:左)と鷹司尚武新大宮司(写真:下)お二方から望外のご鄭重なお出迎えをいただいた。鷹司尚武新大宮司のご挨拶の後、北白川道久前大宮司から遷宮に関しての歴史的なお話をいただいた。偶然にも、つい4日前に大宮司の交代があったのだ。この度就任された新大宮司はNECに長年勤務され、通信部門で働いておられたとのことであり、意外にも思えたが、“神宮”が身近になった気がする。因みに、北白川前大宮司は東芝に勤務されていた。企業にあって“ものつくり”に関わった方々が“神宮”の大宮司になられるのであり、これも日本の特色であるかのように思う。

 遷宮は、神道の精神として常に新しく清浄であることを求めて(常若-とこわか)、神の生命力を蘇らせるために行うものであり、それが20年と定められたのは、建物の清浄さを保つ限度が20年、建て替えの技術の伝承ができるのが、当時の寿命から見て20年、などのいくつかの理由があるとのことであった。 式年遷宮の具体的なお話は、造営と神宝装束のお二人の専門の神官の方からお伺いすることができた。遷宮には1万本以上の檜材を用いて、十年に及ぶ周到な準備がなされ、しかもその檜の主要部材は神宮自身が長い年月と心身込めて自ら育林して来たものであることには感嘆する。式年遷宮に至る間には30にも及ぶ祭礼が執り行われ、今はお木曳の行事の時であって、街にそれを祝うのぼりが各所に掲げられていた。建て替えに際しては、巨大な主柱を建てるのにいまもクレーンなどは一切用いず、古来の手法を用いるとのことであり、古人の技術の素晴らしさを伺い知ることができる。また神宝装束では、714種1576点もの神に捧げる品々をすべて新調するとのことに驚嘆する。その主なものを徴古館で拝見することが出来たが、それぞれが見事な工芸品である。まったく同じものに作るのだが、まさしく技術、技能が伝承されている。
 二日目には、小雨の中を御塩を作る塩田の御塩浜と御塩焼所を案内していただき、さらに遷宮用材木の加工を行う山田工作所を見学する。その加工場の規模、加工されている材木の大きさと量の多さに圧倒される。これはじつに巨大なプロジェクトと言える.。
この式年遷宮は、内宮、外宮が中心であるが、“神宮”の傘下にある120ものお社のすべてにおいて行うのであるから、スケールが大きいのも当然である。その材木は、木曽檜を調達するのだが、最近はすべてを木曽で賄う訳にはいかず、“神宮”周辺の山において植栽をしている。それは大正の末期に始まったのだが、今は間伐材などで、二割ほどを自らの檜にできているという。
        
   外宮の参詣が最後であったが、幸いにも朝からの雨が止んで、二礼、二拍、一礼を心置きなく済ませることができた。外宮は豊受大神宮を祭っているのだが、天照大神のお食事をつかさどる神であり、産業の神でもあるので、有り難さを強く覚える。正殿の造りは内宮と同じく唯一神明造りであるが、鰹木が9本と内宮より1本少なく、千木の先端は垂直に切られていて、微妙に内宮と違う。
 短い旅であったが、日本の伝統の深さを十分に知ることができた二日であった。

(森谷正規)

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Printing Technology と Information Technology の融合を目指す

と   き : 2008年6月3日
訪 問 先 : 大日本印刷(株)DNP五反田ビル 訪問
講   師 : 常務取締役 研究開発センター担当 戸井田 孝 氏  
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)

 「異業種・独自企業研究会」2008年度前期第5回は、6月3日に大日本印刷㈱(以下DNP と略する)の五反田ビルを訪問した。このビルはDNPの工場跡地を利用して2006年に完成され、ショールーム兼顧客の課題解決のためのコラボレーションの場として活用されている。DNPは専業の印刷を含む情報コミュニケーション事業から、生活産業およびエレクトロニクスへと業容を拡大・発展させた実績があるため、今回の参加者は51名と盛会であり、会員の関心の高さを伺わせた。
 最初に役員兼研究開発・事業化推進本部本部長である和田隆氏より、会社概況の説明があった。DNPの前身は1876年に設立された秀英社であり、秀英社と日清印刷が1935年に合併して大日本印刷となった。秀英社時代に作り出された活字である秀英体は、現在でも時代による変化を遂げながらも継続的に使用されおり、現物を後ほどアーカイブにて見ることが出来た。
2006年10月に五反田ビルが完成したが、ここは外部への展示以外に、ソルーションの開発、顧客とのコラボレーションの場として使用されている。市ヶ谷工場についても、2009年より8年間かけ、工場の地下化を含めた再開発を予定している。
DNPは2008年3月時点で、連結の売上高1兆6617億円、従業員は単体で9,003人、連結で37,740人である。事業としては三分野を手掛けていて、①情報コミュニケーション分野。雑誌、カタログ、カード等の売上6,728億円、比率42%、②生活産業分野。包装、建材、インクリボン等の売上5,476億円、比率34%、③エレクトロニクス分野。フォトマスク、カラーフィルター等の売上3,222億円、比率20%である。
印刷以外への事業進出は、自社技術の進化・発展を基本としていて、講演を含めた今回の訪問の中で、DNPのメーカーとしての技術経営姿勢を強く感じることが出来た。印刷技術をコンバーティング技術へ発展させ、これに材料技術を加えることにより生活産業事業を産みだし、更にパターニング技術を付加することにより、エレクトロニクス事業へ進出を果たしている。情報産業高度化に伴い、印刷技術をP&I Solutionへの発展させている。。

 ここで見られるのは、まず自社のコア技術を深化させてその分野でリーダーシップを取りながら、常に新しい技術を開発することによってコア技術を発展拡大し、拡大したコア技術の上に新規事業を構築するという技術経営姿勢である。DNPが技術を基本とする経営戦略の王道を着実に歩んできたことに強い印象を受けた。
次にR&D体制であるが、本社研究(CR)と事業部研究(DR)の役割を明確に分けている。CRは開発支援、生産技術設備開発、新製品・新技術開発を600人で担当し、DRは改良・改善、事業部の新製品・技術開発を300人で担当している。CRは5年以内、DRは1年以内、技術開発センターは3年以内のターゲットと時間的な分担がある。本社研は5センター、分野研には6研究所が担当している。
研究のターゲットは従来顧客から持ち込まれることが多かったため、自社での開発リスクはあるが一旦開発に成功すれば売上は立った。しかし、最近そういう持ち込みは減少傾向にある。川上企業は川下へ、川下企業は川上へと遡及して付加価値をより多く取り込もうと考えるようになったからである。この傾向にDNPとしてどう対応するかを考えた結論が、P&I Solutionを設立した背景にある。

次いでショールーム内の見学に移り、顧客とのコラボレーションを含めたさまざまな活動が行われている中で、数ヶ所を見学した。①シアター。180インチの超高精細映像による現在開催中のミュージアムラボ第四回展スーサ発掘の歴史。②ソルーションスクエア。顧客との対話を補助するため、テーブルにタッチすることにより、必要な画像を呼び出せるコラボレーションワークテーブル、ページをめくると連動して説明や画像が変わるシンクロガイド、絵本から魚が飛び出して見えるAR Book、一枚毎に書き込まれた文字の位置と時間が記録されるフールプルーフ紙(テストの答案用紙に使用され始めた)等々。③ルーブル・DNPミュージアムラボ第四回展。展示物説明用のイヤホンは、耳の不自由な人も聴こえるような骨伝導型のもの(ルーブルの要請)。展示はルーブルとの共同開発で作られ、同種のものが2011年にルーブルのイスラム室に設置される予定。説明用の可動式ディスプレイは、展示物に向けると展示物の歴史や砕けたものをどうやって復元したかなどの情報が映像で説明される。④ICタグ実験工房。商品の個別情報管理のため、ヤマトで使用されている。電子POPでは、商品に触れたり棚から取り出したりすると、商品説明が始まる。⑤秀英体。DNPの前身である秀英社時代に作り出された活字で、時代による形の変化を遂げながら、現在でも岩波書店や新潮社で使用されている。パソコン時代になっても、字体はデザイナーがオリジナルな字体を作っている。そのためのデザイナーは自社内に抱えている。⑥ジェット・ブラック。暗所でなくても、明所で鮮明な画像を見ることが出来るスクリーン。以上のように画像情報とそれらの様々な利用方法を具体的に見ることが出来て、門外漢にも分かり易く、大変興味深いショールームであった。

本日のメインテーマは、常務取締役戸井田孝氏による「印刷技術と情報技術融合の新ソリユーションを目指す」と題した講演であった。異業種・特徴企業研究会は、20年前の平成元年秋に柏のDNP開発センターを訪問している。その後開発センターは試作設備が増強されてクリーンルームが増えたため、見学範囲が限定されることを考慮し、今回は五反田ビルを訪問することになった。
20年の間に、売上は1兆745億円から1兆6160億円へと50%程増加したが、研究開発費は98.5億円から350億円へと3.6倍に増えた。また事業部間の研究が増加しており、これはCRで対応している。CRでは開発支援を除き、事業部からの依頼研究は受けない。IT関連のテーマも増えており、これは世界的な傾向である。印刷関係のExpoがドイツで定期的に開催されているが、印刷の前工程(全体の1/3)では企業が消失しつつある。
顧客のニーズは、綺麗な印刷から印刷物にどれだけ効果があるかに移っている。そのため、顧客の課題解決、すなわちソリューション提供へと社内方針も変わった。21世紀は、予期せぬ社会現象が次々の生まれ、変化し続ける社会、すなわち創発的な社会と捉えており、そのためには社内各組織が自分の役割を認識し、領域や方針を設定することを経営の基本としている。この方針は2001年~2002年に設定された。
DNTの基本となるコア技術はPT(プリンティング技術)とITである。PTは材料、パターニング、コンバーティングなどの要素技術を含み、ITは情報処理、HMI(Human Media Interaction)、情報セキュリティなどを含んでいる。これらは元々自社で所有していた技術を進化・発展させて来たものである。このPTとITを融合させてソリューションへ活用し、生産技術、評価技術として確立した。R&Dで創出してものを事業部へ移管して確立させた。模式的に纏めると以下のようになる。

     ⇒ 情報加工の高度化  情報・コミュニケーション ⇒ 
IT、PT ⇒ パターンの高精度化 エレクトロニクス      ⇒ ソリューション 
     ⇒ 材料のインテリジェント化 生活・産業      ⇒

 CRの活動状況を示すため、新しい技術のタネを創出した例を2例ほど挙げるが、いずれも社外との共同活動の例でもある。
1.Photo-catalytic lithography
TiO2の光触媒作用をパターニングに応用した例で、親水性部分と疎水性部分とのパターンに細胞を付着させるパターニングを行った。牛の内皮細胞を用いて、毛細血管が出来た。これをマウスでテストしたところ、血管再生効果が認められ、再生医療への応用が考えられる。現在は細胞のパターニング培養皿を販売している。
2.Magittiサービス
 携帯による情報サービスで、検索ではなく行動推論による情報を提供する。XeroxのPARCとの共同研究。
 最近オープンイノベーションを推進している。従来は自社内研究だけで十分であったが、世の中の変化が予想を超えるので、自社だけの研究に頼るのはリスクもあると認識した。特にIT分野では米国ベンチャーへ投資し、ビジネスモデルの導入も試みようとしている。この間学んだことは、①仮説提示能力が欠如していることおよび技術の目利きが必要なこと、②ベンチャーのダイナミズム、である。副次的には、NIH意識が改まり、必要な技術は導入しようという機運も出てきた。画像技術の導入はその1例である。
 講演終了後に行った質疑応答の要旨を以下に要約した。
①研究テーマの発想はどのようになされているか? 
基本的に研究テーマの提案は自由であり、提案までの探索・準備は現場主導で行い、部単位の裁量に任せている。ただCR部隊には本業との関係から情報が入るようになっており、何となく研究テーマの方向感が分かる。研究の進め方は、まずは数人単位で研究し、事業化プロジェクトに決まると10~20人に増やす。やれそうだとなると20~30人に増え、本社プロジェクトあるいは事業部プロジェクトに決定すると30~40人程度の人員を投入する。そのまま新しい事業部となることもある。
②事業化のクライテリアは?
 特にクライテリアはなく、早い者勝ちである。失敗を恐れて躊躇することはない。
③オープンイノベーションで良い技術を見つける方法は?
 分野としては新しい分野であるITやバイオに注目している。その中で、技術の融合という視点から撰ぶようにしており、現在進行中のものがいくつかあり、タネが出てきている段階である。
 今回の訪問で最も印象的だったのは、DNPの技術経営・戦略である。自社のコア技術が何かをしっかりと理解し、それを深化させるとともに、新規技術を開発して追加し、進化・発展させて新しいコア技術を創出し、その上に新規事業を構築するという戦略を継続して今日の発展を導いた。
 また技術開発の体制についても、CRとDRの役割を明確に定め、短期・中期のテーマ分担をバランス良く維持してきたことも、コア技術発展に大きな貢献をしてきたことは疑いがない。
 以上の二つの要因は、技術経営・戦略の王道であり、長期的には最も成果を継続的に出すことが出来るにも拘わらず、短期的な売上や利益を重視する経営者から近年軽視されているのは眞に残念なことである。今回のDNPの例が、技術経営の良い規範となることを期待している。
 DNPでは事業化にクライテリアは設けず、まずやってみることを基本としているが、予想を超える変化が増大する21世紀の社会では、まずやってみて成功したものを残すというDNPの方法がより有効な手段となり得るであろう。
今回の質疑で話題となったオープンイノベーションについては、一般的には効果があると考えられているが、自社に強みやコア技術の優位性がなければ、効果は小さいであろう。オープンイノベーションは、あくまで自社の強みやコア技術の優位性を補完するものと位置付けるべきである。強いコア技術を有する者同士が補完し合うからより強くなれるのであって、弱者同士が結んでもより強くはなれないのは自明である。この観点から見ても、強いコア技術を複数有するDNPの進め方は理にかなっている。
(文責 相馬和彦)

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