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2008-11

ニコン デジタル一眼レフカメラ D3,D300,D700 開発小史

と き :2008年11月13日
会 場 :新宿オークタワー
ご講演 :(株)ニコン 執行役員 映像カンパニー副プレジデント 後藤哲朗 氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏
 

   21世紀フォーラムの2008年度(後期)第3回は、ニコンの執行役員映像カンパニー副プレジデントである後藤哲朗さんの「ニコンデジタル一眼レフカメラ D3,D300,D700開発少史」と題するお話であった。ニコンはキャノンと並ぶ日本の、というより世界のカメラ両巨頭である。いまカメラはいよいよデジタルの時代に大転換しているのだが、ニコンは、デジタルカメラではキャノンに少し後れを取っていた。ところが、この数年、ニコンの本領である一眼レフカメラで、見事に巻き返した。D3が2008年のカメラグランプリ大賞を受賞し、D700も非常に高く評価され、人気を呼んでいる。ニコンは、いかにしてこうした素晴らしい開発を次々に成し遂げたのか、そのお話を詳しく伺うことができた。
 後藤さんのお話は、まずカメラマニアであった生い立ちから始まった。キヤノンのファンでもあったと、いまはライバルのカメラの良さを率直に誉める。ニコンに入ってからは、フラグシップのシリーズであるF3の設計から仕事を始めた。それから一貫してカメラの開発に携わってきて、カメラ一筋である。次いで、カメラの歴史を紹介する。カメラオブスクラやダゲレオタイプというごく初期のカメラから入ったが、当時はISOが0、001のレベルであったそうである。写真家の話もあって、“決定的瞬間”のアンリ・カルチエブレッソンの名が出た。まさしく決定的瞬間の写真もあった。日本のカメラ業界の発展の歴史にも触れた。戦後はカメラも、ドイツなどの模倣から始めて、低価格での輸出に努めた。だが、技術は急速に進んで、1962年には生産量でドイツを抜いたという。ニコンが、戦後間もなく、海外でその高性能が認められて、プロカメラマンが愛用するようになった経緯の話もあった。
   本論に入ると、カメラの要素技術について、一つ一つ、写真や図面を駆使して、非常に詳しい話があった。その要素が、シャッター、ファインダー、ストロボ、巻き上げ、露出計、フィルムなど非常に数が多く、その説明にたいへん長い時間を要した。カメラとは要素技術がまったく多種多様であり、じつに複雑なシステムであると改めて知った。そして、それぞれに新しいメカニズムを長年にわたって次から次へと出していく。絶えざる進歩が続いてきた技術システムであることを実感した。その絶えざる努力こそが、日本の本領であり、その蓄積は非常に大きく、高度なカメラでの日本の強さは、今後も少しも揺らがないだろうと思わせた。
 そのさまざまな新しい技術は、カメラメーカーの側から提案したものが大部分であるという。自動露出や自動焦点もメーカーからの提案であり、プロカメラマンは当初は、そんなものは不要だと反発したが、いまではそれを完全に受け入れている。
そのメーカーからの提案は、デジタルカメラの時代になって、新しい方向に向いているようだ。いまニコンが提案しているものが三つ紹介されたが、第一は、写すシーンをもとに、いかに良い写真にするのかの手段を示して選んでもらうものだ。第二は、顧客から写真を預かって、いつでも提供できるようにすることだ。第三は、カメラで動画を撮って、ムービーにすることである。これらはデジタル化して、その処理と記録の技術が非常に大きく進んできたことによって可能になったものである。カメラとその使いようが大きく変わってきていることを実感した。
   巻き返した3種のデジタル一眼レフカメラの開発をいかに進めたのかの話では、キヤノンを強く意識して、2007年に、キヤノンが新機種を出すのを待って、それを見て、超える性能の新製品を出したという。もちろんそれは、高性能、高機能を目指した開発に非常な努力を積んできたから可能になったのだが、隅っこの光も集光する、16ビットで処理をする、1005に分割してシーン認識をする、光源を正確に把握する、マグネシウム合金のボディでゴミの侵入を完全になくすなど挙げればキリがないほどの数多くの新技術を開発している。デジタルカメラでは、やれば可能になる新しい機能がいくらでもあるのだと分かる。デジタルは、カメラを大きく変えていることを痛感した。
   だが、カメラにおいてアナログ技術がいまも非常に重要な位置を占めていることも強調された。デジタルで高度なことをやる基礎がアナログ技術であるようだ。多種多様な要素技術にも、アナログが基本であるものが多いのである。
   最後の質疑と討論の時間に面白いやりとりがあったので、紹介する。ニコンは、キヤノンに生産台数では大きく離されている。それはコンパクトカメラが得意ではないからだ。いまでは、新機種を出しても売れるのは半年だけという大乱戦になっていて、ニコンは得手ではない。そこで、私が、ニコンはコンパクトカメラを止めてしまったらどうかと、少々挑発的なことを言った。すると後藤さんは、顧客のニーズを掴むために、生産技術を確保するために、コンパクトカメラは絶対に止める訳にはいかないと強い口調で答えた。そこで、ではコンパクトカメラは、同一機種を4年も5年も作り続けて、それで評判を高めるのはどうかと言うと、それは考えられるとのお答えであった。ニコンの持つ非常に高度な技術を活かして、ニコン独自の行き方をして欲しいものである。

(2008年11月 森谷正規)

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トータル モーション テクノロジーの極限を目指して

と   き : 2008年10月2日
訪 問 先 : ハーモニック・ドライブ・システムズ 穂高工場
講   師 : 執行役員 最高技術責任者 清沢芳秀氏  
コーディネーター: 相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)

2008年度後期の「異業種・独自企業研究会」第2回は、10月2日にハーモニック・ドライブ・システムズ(以下HDS社と略記)の穂高工場を訪問した。HDS社は一般には名前はあまり知られていないが、トータルモーションコントロールでは世界でオンリーワンの技術を有し、宇宙・航空、ロボット、天体望遠鏡、外科手術、油田掘削など、精密かつ信頼性の高いモーションコントロールが要求される分野では必須の技術となっている。しかも創業以来、技術を極限まで追求する姿勢を堅持している企業であり、その実態に触れる得がたい機会となった。
最初に取締役副社長で最高製品(開発・製造)責任者兼海外事業担当の涌本晴雄氏よりご挨拶があった。HDS社の工場は国内では穂高のみであるが、海外にはドイツおよび米国(ボストン近郊)を有し、三会社で世界をテリトリー分割している。産業用途では、この三社で殆ど専有状態にある。
 次いで執行役員で最高技術責任者兼品質責任者の清沢芳秀氏より、会社概況の説明があった。ハーモニック・ドライブ(HD)技術は、1955年に米国の発明家C.W.マッサーが発明したものである。駆動ドライブ用歯車として、従来とは全く発想の異なる楕円形歯車を提唱した。この技術により、使用する歯車の数が減るため、必要なスペースが少なくかつ歯車の遊びも減少するので、結果として精度が著しく向上する。必要な基本部品は三点あれば良い。
HDS社の前身は長谷川歯車であり、1955年にハーモニック・ドライブ(HD)が発明されるとこれに目をつけ、1964年に技術導入に踏み切った。1970年にHDS社が設立され、その後合弁や米国企業傘下の時代を経て、現在従業員は単体で231人、連結で370人である。国内には子会社が4社あり、そこで遊星減速機や部品製造を行っている。海外にはドイツと米国に工場がある。受注生産と少量・多品種が特徴である。
市場としては、1980年代に産業用ロボット、1990年代に半導体(小型HD)、2000年代に液晶製造装置(大型HD)、その後は医療・航空用途が出て来て、現在のトータルモーションコントロールシステムへと進化した。これは、モーター、センサー、アクチュエーターが一体化したシステムである。
HDの特徴としては、小型、軽量、ガタがない、高トルク、高位置決め精度、高繰り返し位置再現性、一段で高い減速比、高効率、高剛性などを挙げることが出来る。主たる用途は、産業用ロボット25.9%、半導体16.3%、フラットパネル7.2%、モーターメーカー向けギヤヘッド10.1%、土木建設機械5%などがある。
現在製造されているHDは直径が13~330mmの範囲で、型式としては10種以上あり、月産でおよそ3万個。95%は特殊品で完全受注生産のため、平均のロットは7個と非常に少ない。歯車は削り出しの切削加工で製造している。
企業活動以外に地域貢献として、講演会やコンサートなども積極的に実施している。
この後工場および施設を見学した。見学概要を下記に纏めた。
①美術館「飯田館」
美術館は従業員の感性を高めるために設立し、絵画や彫刻が飾られている。後刻のパーティーもここで行われた。設計は槙文彦氏で、氏は幕張メッセ会場や新しいワールドトレードセンターの設計にも関与した。
②I・K Kan
HDS社の技術的基礎を築いた石川、亀田両氏を記念して建てられた研究棟で、HDの角度伝達誤差を現状技術の1/10に向上、精密加工・精密測定の可能性追求、他社依存ノウハウの内製化などを意図している。23±0.5℃で温度制御し、床下は防振のため砂利を敷き詰めている。
③マッサー記念室
HDの発明者であるC.W.マッサーの使用した道具や装置の実物が展示されている。遺族から入手したとのこと。マッサー(1909-1998)は町の発明家で、バズーカ砲や緊急脱出装置なども発明している。
④メカトロ組立工程
型式5種、モーター3種を組立。生産数は一人当たり一日30~50個。
⑤FHAC組立・生産・検査工程
半導体の搬送用に使用するアクチュエーターの生産。
⑥評価エリア
アームに重りをつけた負荷試験を実施。これで製品寿命を測定するが、負荷による磨耗の大きさで判断している。
⑦部品加工工程
切削、穴あけ、トリミングなど。歯車加工は1~2μの差を手で判断している。作業者は社内で認定を受けた者が担当する。 
⑧ユニット品組立工程
 最近ユニット品の要望が増えている。すぐに使用出来ることがメリット。
上記に加えて、恒温測定室、受入検査・倉庫、検査工程、性能試験、ショットピニング工程、フレックスプライン加工工程なども見学した。
工場見学より戻ってから、清沢芳秀氏より「トータルモーションテクノロジーの極限を目指して」と題する本日のメイン講演を戴いた。
減速比が1/5~1/10だと、HDはたわみで薄肉部分が壊れやすく、1/40以下が適している。ただ従来の歯車だと、1~2枚程度の歯が噛み合っているに過ぎないのに、HDだと全体の30%が噛み合っているので、高精度かつ高トルクを出すことが可能になる。HD開発の方向は、①負荷/体積比向上、②高位置決め、③超小型化であった。1965年~2000年の開発努力の結果、①負荷/体積比は7倍以上に、②回転精度は10倍以上に向上した。HDは民需中心で技術進歩した。こういう技術は軍需用途にも適しているが、HDS社は軍需を手掛けないことにしていた。その理由は、軍需は確かに採用時には最先端技術を採用するが、一旦採用されると信頼性の観点より10~20年は継続してその技術を使用するため、技術進歩の必要性がなくなる。そのため、会社としての技術進歩がなくなる。マッサーの技術を、HDS社と米国のUSM社が同時に技術導入したのにも拘わらず、結果としてUSMが20年は技術で遅れを取ってしまったのは、軍需中心で技術開発したからである。逆にHDS社は民需を中心とし、軍需を手掛けなかったことが幸いした。この事実は、メーカーの経営方針に対して大きな示唆を与えている。
次にHDS社が実施してきた具体的な技術開発の事例を纏めた。
①高強度型フレックスプライン
従来型インボリュートは噛み合いが10%程度であった。そのため、曲げ応力の低下、噛み合い歯数の向上を目指し、噛み合い歯数を全体の30%にまで向上させた。その結果、歯底疲労強度が2倍、ねじり剛性が1.5~2倍にアップした。
②コンパクト化 短胴化開発
3次元的な噛み合い、応力緩和による疲労強度向上を目指した。Rシリーズの短胴化では、1981年~時点のサイズを1として、1991年~では3/5に、2000年~では1/3になった。
③シルクハット型
中空構造をしており、日本だけで生産。一部はドイツでも。
④コンパクト化 クロスローラーベアリング組み込み型ユニット。
⑤軽量化 アルミ合金を使用。重量は45%低下するが、負荷容量は従来品と同等。
⑥超小型化 外径が1982年33mm、2002年20mm、2006年13mmと小型化。2007年にはロボット大賞を受賞した。
⑦高精度への挑戦 ±2秒の精度達成。High precision rotary table
遊星減速機を減速比1/5~1/45の領域用に開発した。
またメカトロニクス分野では、DCサーボアクチュエーターからACサーボアクチュエーターへ、更には中空扁平ACサーボアクチュエーターへと発展させたことと、DCサーボアクチュエーターからリニアアクチュエーターへ発展させた二つの道を取った。中空扁平ACサーボアクチュエーターは精度がDDモーターに劣るものの、サイズが小さいというメリットがある。モーターについては、高分解能DDモーター、38mmの超扁平モーター、ボールネジ組込式中空モーターなどを、小型化ではハンドアクチュエーターを開発した。
応用分野としては、産業用ロボットの特殊なものではシェアが約40%。その他に計測装置、人工衛星のパネル方向制御装置、火星探査車”Rover”の駆動部分、遠隔手術ロボット(“Da Vinci”)、すばる望遠鏡のアクチュエーターなど多くの製品に採用されている。
講演終了後の質疑応答が活発に行われたが、HDS社の軍需を手掛けないという方針について、参加者からも自社の経験を含めた質問や意見が出された。軍需用途は開発費の面倒を見るため、最先端の技術開発が出来るというメリットがある反面、一度開発した技術の変更が困難なため、そこの段階で技術が停滞する危険性が指摘された。逆に民需では常に新しい技術が求められているため、継続的な技術開発が必要となる。社員の感性を磨くための美術館建設が、企業活動の中で可能な背景については、初代と二代目の経営トップは海外生活が長く、最初から週休2日制、社会貢献重視の方針を出していたためとのことであった。また平均ロット数が7個という少量・多品種生産をどのようにして経済的に成り立たせるかについては、やはり初期には生産管理で苦労したようであるが、小ロット生産をメリットに変える工夫をしている。計画を重視して段取を少なくかつ短くする工夫を凝らしており、計画達成率は98~99%の高さになっている。

今回は世界オンリーワン技術を誇るHDS社の創業以来の経営方針、技術開発方針を詳しくお聞きしたが、やはり確固とした経営哲学とそれに基づく技術開発方針があった。殆どの製品が受注生産であるということは、顧客も自社の最先端技術を駆使した製品開発に必要な部品としてHDを位置付けていることであり、HDS社は技術の極限を追求することによって見事にそれに応えてきたことを如実に示している。こういう日本の優れた基幹部品が、日本の製造技術全体を支えていることを再確認した訪問となった。(文責 相馬和彦)

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わが国航空機産業の悲願、国産旅客機事業の創出に挑む

と き :2008年10月9日
会 場 :森戸記念館
ご講演 :三菱航空機(株) 取締役社長 戸田信雄 氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏

 

 21世紀フォーラム2008年度(後期)の第2回は、三菱航空機取締役社長である戸田信雄さんの「わが国航空機産業の悲願、国産旅客機事業の創出に挑む」と題するお話であった。良く知られているように、三菱重工業は座席数70-96の小型ジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)の開発、事業化を決めた。三菱航空機はそのために設立された会社である。戦前はゼロ戦を作って世界でも冠たる航空機産業を持っていたのだが、戦後になってGHQに航空機の開発,生産を全面的に禁止されて、航空機産業は壊滅した。やがて、開発禁止が解けて、ターボプロップの小型旅客機YS11を開発して事業化した。これは、性能は悪くなかったのだが、世界市場での販売はなかなか進まず、巨額の赤字を出して事業を閉じた。その後は、国産旅客機の開発は強い願望であったのだが、リスクが非常に大きいために手が出ず、いまになってようやく本格的な旅客機への進出が可能になったのだ。MRJは2011年に初飛行し、13年から納入を開始する予定である。
 三菱重工業の経営トップは、リスクを覚悟しての決断をしたのだが、戸田さんは淡々と話を始めた。まずは、MRJがいかなる旅客機であるのかを詳しく説明する。このクラスには、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルがあって競合相手になるが、MRJは、燃料消費率が少ない利点で勝負するという。P&Wの新しいエンジンを採用して、3割も燃料消費を減らすのである。原油価格が高騰しているいま、これは販売の強い武器になるに違いない。もう一つ、騒音もかなり減少させた。つまり、環境にとって好ましい旅客機であり、それはいまどうしても必要な条件だ。
 燃費を良くするためには機体の軽量化が必要だが、それは主翼にCFRPを用いることで実現した。三菱重工業は、ボーイングから委託を受けて生産する中型旅客機の主翼などにCFRPを採用してきており、技術力は非常に高い。なお、胴体はCFRPではなくアルミ系の材料である。それは、比較的短距離であるから空港の離陸、着陸の回数が多く、空港内を走る自動車がぶつかる事故の可能性があるので、修理の容易なアルミ系にしたとのことである。

   次ぎに世界の航空機産業について話された。米国が圧倒的に大きいのだが、日本は、英仏のほぼ3分の1の産出高であり、次いでドイツ、カナダだが、これは間もなく抜けるという。米国にはこれからも適わないが、MRJを契機に、日本は主要な航空機産業国の一つへ進むことになる。日本の航空機産業は、米国が開発したジェット戦闘機の生産が中心の防衛需要を柱にして発展してきたが、ボーイングからの委託生産によって、いまでは民間需要がほぼ半分を占めるようになっている。これからは民需が主になっていくことになる。
 なお、三菱重工業は、ゼロ戦を作っており、戦前には軍用機ではトップの企業であったが、戦前の最盛期には年間4000機の航空機を生産したと聞いて驚いた。日本は、戦闘機の性能は優れていたが、生産力が米国に大きく劣っていて敗れたと聞いていたので、その生産量の大きさに驚かされた。ということは、米国はもっと凄かったのだ。
 今後の展望としては、これからの14年間に1000機の受注を取って生産していくとのことである。1000機は生産額としては、4兆円になる。さすがに巨大であり、1800億円ほどになる開発費が充分に回収できる。このクラスの旅客機にはこれからの20年で5000機の需要があると言われており、まずは30%のシェアを取り、さらに大きく伸ばしていくという目標を立てている。カナダ、ブラジルに加えて、ロシアと中国がこのクラスに参入してきて、五つの国での争いになるが、勝算はあるようだ。
   質問、討議に入って、大きなリスクを賭けることになる事業に挑戦する経営者の決断がいかなるものであったのかを質問した。
   一般には、販売が500機にも満たないと巨額になる開発投資が回収できないリスクが言われるのだが、現実には、事業を開始すると巨額の生産投資を行うので、さらに大きな損失を被ることになる、そのリスクも充分に考慮して、踏み切ったとのことである。
淡々と話されたが、経営陣の決意のほどが良く分かり、全力を上げて事業を成功させる覚悟であると分かった。三菱重工業としては満を持しての事業化であり、何としても成功させる自信があっての出発であると感じ取れた。MRJが日本の航空機産業を世界に伍するまでに発展させる出発となることを期待したい。

(2008年11月 森谷正規)

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