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2014-04

「繊維・ファッション産業に金メダルを」―千載一遇のチャンスを生かそう―

「繊維・ファッション産業に金メダルを」

―千載一遇のチャンスを生かそう―

名古屋学芸大学 客員教授 髙見俊一

 バブル経済崩壊で「夢」を見失った日本は、様々な景気回復策を打ち、経済の立て直しを試みた。結果は「失われた20年」、日本経済は低迷を続けた。デフレに苦しみ、世界の経済大国2位の座も中国に奪われてしまった。だが、2012年参院選で勝利した自民党政権は、「アベノミクス」を提唱し、デフレからの脱却を狙った政策を展開する。株価高騰から久しぶりに景気の先行きに明るさが見えはじめた時、7年後の2020年東京オリンピック開催が決まった。千載一遇のチャンスの到来である。なぜ、チャンスなのか、オリンピックは単なるスポーツの祭典であり、東京という地域限定の話として捉えてしまうのはもったいない。少なくともオリンピック開催時には世界中(ロンドンでは200ヶ国)から選手・役員そして見物客が大挙して来日する。また、テレビやネットを通じてその様子が報道され、世界中の人が一斉に日本の「東京」に目を向ける。こんなイベントは、他に例を見ない。この絶好のチャンスを生かさない手はない。そこでここでは、代表例としてファッションビジネスの立場からどう活用できるかを考えてみた。

 日本のファッション産業は、中長期で見ると衰退期にある。1960年代以降、団塊世代を主な担い手として、カジュアルファッションを中心に一大発展を遂げてきたが、残念ながら高齢化社会の到来とヤング人口の減少で勢いを失いつつある。若い人のファッションへの情熱的な憧れは、沈静化している。このまま衰退してしまうのだろうか。幸い、既存のファッションビジネスは、一つの区切りを迎えているが、その先には、一段と進化したファッション産業の姿を展望することができる。結論から言うと、日本は世界のファッションビジネスの中心になる可能性を持っている。革新の絶好のタイミングでもあるのだ。

日本の持つ優れた経営資源を確認しておきたい。それは、日本文化、歴史、四季、自然、美的センス、おもてなしの心、…である。これらの資源を活かして、心豊かな人生を送るための「付加価値の高い商品とサービスを創造する」ことで基本業態を構築し、国内で事業基盤を確立する。量的には、若い人を中心に人口増が期待される東南アジアを主たる市場として展開することでフォローできる。

 オリンピックとの関係はというと、7年以内に、ビジネスの基盤を確立し、世界中から集まってくるお客さんにPRをする。そして、この構想を実現するために、担い手として存在感を増しつつあるバブル経済崩壊後に誕生した世代に注目したい。すでに、この世代は、スポーツや芸能の世界では、世界的に通用する人材を輩出し始めている。また、小学校から英語を学ぶことが義務化され、現在の他のどの世代より英会話能力が身についている。平等主義ではなく、英才教育も実施されるようになり、優れた人材の登場が期待される。ファッションの好きな人に徹底的に英才教育をすることも可能になる。しかしながら、人材育成を効果的に実現するには、教育体制そのものに問題がある。既存の家政系大学の多くは、繊維産業に立脚したカリキュラムで教育を行っているが、入学してくる学生の多くは繊維を学びたいのではなく、ファッションに興味を持っている。それに応えるには、ファッション産業に立脚したカリキュラム編成に改組しなければならない。2020年オリンピック東京開催のチャンスを活かすためには、急がなければならない喫緊の課題である。

 新しいファッションビジネスの実現に向けての第一歩は、中心になって活躍することを期待される世代に、「夢」と「目標」をもって仕事に取り組んでもらうことである。そのためには、将来的に日本のファッションが世界をリードする時代が到来するというヒントを提供し刺激する。次に、新しい教育体制のもと、実現するための能力、ツールを身につけてもらう人材育成を計る仕組みを充実させることである。同時に、より多くの人に理解をしてもらうための仕掛けをすることも大切になる。オリンピック期間中に、たとえば、新宿、渋谷・原宿といった、西部地区を核に、ファッションショーやイベント企画を実施し、関心を盛り上げることも一策である。

 一つのムーブメントを立ち上げるには、一個人、一企業、一産業が動いても無理で、時代変化の流れに乗らないと成功は難しい。

64年の東京オリンピックの時は、団塊の世代が成長し、戦後の復興が軌道に乗り始めていた。日本のファッションには、60年代初頭から、大きな流行が相次いで登場する。婦人服専門店が、団塊世代である若いOL層に支持され、連日にぎわいを見せ始めていた。そこに、オリンピックを機に、新幹線の開通や家電の普及など、生活向上の実感が背景にあった。映画「ALWAYS三丁目の夕日」の時代である。そして、2020年の東京オリンピックは、「大人社会」を背景に、量より質、成長より成熟、より高度の欲求の実現、ライフスタイルの確立の動き等、人生を心豊かに充実して過ごすという新次元の欲求が背景にある。

 ファッションビジネスを想定した時に、日本は、「おもてなしの心」「気配り」という

文化があり、接客販売で、世界のトップクラスにある。商品ではこれまでにも「ジャポニズム」の実績がある、日本独自の文化を題材にするテーマの商品、サービスを事業化することで、これまでのミラノ、パリ、ニューヨーク、ロンドンに変わって、東京が情報発信都市に変わることができる。ファッションビジネスの世界での金メダル獲得に向けて、躍動する若い人々の誕生を期待したい。

(「一般社団法人日本衣料管理協会会報」 2014.1.1号掲載原稿)

銀塩写真礼賛

 今日(2014.4.8)、東京ミッドタウンの富士フイルムフォトサロンで開催中の写真展 「四季のいぶき」(2014.4.4 – 10)を偶然訪ねて感動し、同時に大きなショックを受けて写真展を後にした。

 すべて中判、または大判カメラで、銀塩カラーフィルムを使って撮影され、全紙大に引き伸ばされた、ハイ・アマチュアグループによる写真展だったが、その撮影技術と感覚の高さに驚嘆すると共に、改めて銀塩カラーフィルムの表現力に目を見張った。

 色の彩度と見事な階調、コントラスト、先鋭度、深い色彩、それと本来相反する筈の色彩の輝きと透明感、その色再現と表現力は何れも今日のデジタル写真を遥かに凌ぐものであった。最近デジタル写真にばかり触れているうちに、いつの間にか私の目は汚され、感度を余りに鈍らしていたことに愕然とした。

 思えば、1839年、フランスのダゲールから始まり、1851年、英国人アーチャーによって発表された湿板写真、1871年の同じく英国人マドックによる大発明・ゼラチンを用いた乾板写真を経て、ロールフイルム方式を考案して写真のアマチュア化・大衆化路線を切り開き、この分野で長く世界に君臨した巨人イーストマン・コダック(世界初のカラーフィルム、世界初デジタルカメラも同社の開発)、インスタント写真分野を切り開いたポライロイド、そして、やがて世界のリーディングカンパニーとなった富士フイルムに至る銀塩写真フィルムの歴史は、単に先端イメージング技術の開発競争の歴史であったばかりでなく、それは人類にとっての輝かしい写真文化、イメージング文化創出の歴史であった。

 われわれは、改めてこの先人たちが辿り着いた遺業を讃えたい。

 デジタル化によって、われわれが手にした恩恵は計り知れない。それは画期的なもので、とても言葉に尽くせない。

 しかし、一方、デジタル化によってもたらされる写真画質は、明らかに今日後退している。そこに気づかないでいることは恐ろしいことだ。これが、今日の文化と美意識全般に及ぶものでないことを祈りたい。

 デジタル写真が既に銀塩写真に取って代わっている現在、デジタル写真に関係する方々の一層の奮起を期待したい。

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