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2013-11

匠の技を原点とする日本製鋼所の技術の高度化と進化

《と   き》2013年7月12日

《訪問先 》(株)日本製鋼所 室蘭製作所(北海道・室蘭市)
 
《講  師 》日本製鋼所(株) 取締役 専務執行役員 鉄鋼事業部長 村井悦夫氏
《コーディネーター》テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏 

 

 「異業種・独自企業研究会」の2013年度前期第4回例会は、平成25年7月12日に日本製鋼所の室蘭製作所を訪問した。日本製鋼所は1907年に創立された長い歴史を持ち、原子力発電部材の製造では、世界トップの位置を占めている。先端技術分野で勝れているばかりでなく、所内に鍛刀所を有し、日本刀の鍛刀技術の保存・伝統にも力を入れ、その鍛造技術から学ぶ姿勢を維持している。

 今回は、同社の勝れた製鋼技術開発とその進化ばかりでなく、日本刀鍛造を支える匠の技との接点や融合を含めてお聞き出来ることを期待して訪問した。

 最初に室蘭製作所長 執行役員 工学博士 柴田尚氏のご挨拶をいただいた。日本製鋼所は兵器製造が出発点であったが、戦後に民需へと転換した。兵器には当時の最高水準技術を使用していたため、戦後に化学、石油、原子力への展開が可能となった。

 次いでDVDによる会社紹介があった。”creation”を会社の標語にして、鍛刀技術を製鋼に活用している。使用する鋼塊は最大670トンのものが製造出来るが、現時点では世界最大である。この鋼塊を鍛錬し、熱処理、機械処理を経て出荷する。原子力発電用基幹容器、圧延機用ロール、石油精製リアクター、クラッド鋼管などを製造しているが、新素材として人工水晶、また風力発電システム(一貫供給)なども手掛けている。

その後工場見学に移ったが、大型の鋼塊を加工、移動させる設備が並び、規模の大きさが印象に残った。概況のみ以下に纏めた。

①第一鍛錬工場

 14,000トンの水圧プレス用い、ローターシャフトを製作中であったが、赤く加熱された四角形の大型鋼塊がプレスに押され、段々と丸形に変形して行く様子を見ることが出来た。この工程はマニュアル操作であり、加熱(1,200℃)と鍛造(800℃)工程が3回繰り返される。この水圧プレス以外に、油圧式の14,000トンプレスも設置されている。火力及び原子力発電所向けが、売上の約1/2を占めている。

 工場間の製品移動は、製品の重量が大きいためディーゼル列車で運搬している。

②第四機械工場

 ここでは蒸気タービンのシャフトなど、大型製品の機械加工を行っている。発電機シャフトは200トンの重量があり、原発用ローターは、製品完成までに、全工程を含めると約一年掛かる。内部欠陥検査で発見される不良率は、0.2%程度である。

コアリージョンシェルは、アルバ社から技術導入した。

ローター切削、中心孔の研磨などを行っている。製作中のものに、原発の蒸気発生機部品(管板及びチャネル)、ヘッドなどがあった。

高速で回転するローターには、高い精度が求められるが、最終製品の精度は鋳造、鍛錬、機械加工の総合技術で決まる。

③瑞泉閣

 明治44年に、大正天皇が皇太子時代に宿泊するため新築された。その後、皇族の宿泊や休憩に利用されてきたが、老朽化したため昭和51年に改装された。当時の様式が残されている。

④瑞泉鍛刀所

 大正7年に、近代化により衰退していた日本刀製作技術の保存と向上を願って設立された。以来堀井家が代々技術を継承し、現在も刀匠2名、見習い1名が社員扱いで働いている。実際の鍛造工程を見学したが、日本製鋼所の「ものづくり」および「技術技能伝承」の原点がここにあると認識されている。

 工場見学から戻り、代表取締役 専務執行役員の村井悦夫氏による「匠のワザを原点に技術の高度化と進化へ」と題する講演をお聞きした。

 日本製鋼所の従業員は単体で2,460人、連結で以前は約8,000人在籍していたが、リストラの結果、現在では6,250人である。

 製品としては、鋳鍛鋼としてローター、シャフト、フランジ、ケーシングなど、鋼板としてクラッド鋼板、圧力容器用鋼板など、重機鉄構として圧力容器、熱交換器など、樹脂機械として各種射出成形機、ミキサーポンプなど、産業機械として圧縮機、バルブなどを製造している。その他にも、環境・エネルギー関連、マグネシウム関連、防衛関連の製品及び新規事業を手掛けている。

 室蘭製作所の敷地面積は112万㎡あり、従業員は本体830人、関連会社1,770人の合計2,600人を抱えている。1907年以来の会社の変遷を辿ると、第一の創業は軍需中心であったが、第二の創業は戦後の民需への転換である。平成12年からは、第三の創業として、エネルギー分野への特化を目指している。発電、発電関連事業、新エネルギー(風力、水素)・環境事業への展開である。

 ①第一の創業は、1907年に英国二社と、砲身を国内生産するため、資本金1,000万円の三社合弁企業を立ち上げたのが出発である。戦艦大和の主砲は呉工廠製であったが、小門の砲や機銃は日本製鋼所製であった。この時に砲身製造のノウハウを蓄積した。

 大正7年にダイムラーより技術導入し、国産第一号の航空機用エンジンを製造したが、結局10台造ったところで中止となった。

 日本刀製作技術の保存と向上を計るため、瑞泉鍛刀所を維持してきたが、日本刀の製作から参考になった工程を列挙すると、鍛錬、接合、鍛造、熱処理がある。接合はクラッド製造で、天然ガス用耐腐食性パイプ、マルチアロイローターやロールに応用された。熱処理は偏熱加熱・焼き入れで、一体だが部分により性能が異なる製品製造に役立った。

 ②第二の創業においては、砲身の製造技術が、戦後に発電機用一体型低圧ローターへ転用された。石油精製用リアクターでは、鍛造したリングを熔接して容器に仕上げるが、熔接技術を新しく開発し、カナダなどの低温地向けの材料開発に繋げた。

 原子力用途では、東海1号炉への納入が最初だった。原子炉用のスコットランド製鋼材に水素クラックが出来た時に、代替品を納入したのが始まりである。

 ローター用軸材では、リンや硫黄の含有量を大幅に減少させる精錬法を開発した。120トン電気炉5基に合金を添加する合わせ湯方式で、600トンの鋼塊を製造出来た。

 鋼材内部には、数ミリの欠陥が出来る。これを鍛造工程で圧着して除去する技術を開発した。中心部の圧着効果がアップする様に、表面を空冷して固める。

 機外鍛錬により、大型ヘッドを分割せず、一体のままに成型出来る技術を開発したが、日本製鋼所だけの独自技術である。

 スーパークリーン鋼は、10万時間を超えても全く性能が落ちない。10年を越えた使用が可能となった。

 火力発電用ローターは、使用温度の高温化によっても、ボロン添加鋼によってクリープを減少させた。

 原発の圧力容器では、溶接部数を大幅に減少させ、より安全な容器になった。また、もんじゅの炉部材、各種核融合炉部材なども手掛けている。

 ③第三の創業では、世界のエネルギー需要が今後も一層増加する状況を踏まえ、温暖化防止と安全・安心の向上を目指して、エネルギー分野に特化しようと決心した。この分野の需要増加を念頭に、800億円の投資を実施している。

 また次なるチャレンジとしては、以下がある。

①30万キロワット以下の小型発電機用部材については、日本製鋼所の事業としては捨てるのか、あるいはアライアンスで生き残るのかを決断する必要がある。更なる高効率化への研究開発のような自社努力を実施している。

②新分野への挑戦として、以下の分野を設定している。

 航空・宇宙材料

 海洋開発

 IT関連消費財

 新たなエネルギー関連材料と貯蔵容器

内容が豊富で、実例も潤沢に引用され、示唆に富んだ講演であった。遠距離での開催で帰宅便が限られるため、時間的な余裕が少なく、質疑応答は懇親会の席で持つこととして、講演はここで終了した。

 今回の室蘭製作所では、1907年創業の歴史ある企業が、時代の激動に揉まれながらも、創業理念を維持しつつ変化に対応してきた実例をつぶさに拝聴出来た。ただの消極的対応ではなく、匠のワザを原点とし、それを積極的に高度化・進化させ、原子力発電部材で世界のトップに登りつめたのは、見事としか言いようがない。しかも現在の地位に留まることはなく、第三の創業を目指して更なる変化を追っている姿勢には感服する。原発は日本では厳しい状況が暫く続くと思われるが、世界を見渡すと、エネルギー消費量増大と温暖化防止の両立に対応出来る発電技術としては、原発を外すことは考えられない。新分野への挑戦と共に、原発の更なる安全性と発電効率向上に、今後も貢献されることを期待出来た訪問となった。

(文責 相馬和彦)

国指定の重要無形民族文化財 奥三河の「花祭り」、和太鼓集団「志多ら」の本拠地を訪ねて


2013年2月22日(金) ~ 23日(土)、新経営研究会の主軸事業「イノベーションフォーラム」 の2013年度後期 第2回例会が、奥三河 (愛知県北設楽郡東栄町)の地において開催され、国指定の重要無形民族文化財 「花祭り」 を見学し、その奥三河の土地に溶け込んで活躍しているわが国有数の和太鼓集団 「志多ら」 の本拠地を訪ねて、その超絶の組太鼓と篠笛の演奏に感動し、改めて現代と伝統文化を顧みるひと時を持ち合った。

「花祭り」は鎌倉末期から室町の時代にかけて、熊野の山伏や白山の聖によってこの地に伝えられ、数百年に亘って今日に伝承される「五穀豊穣と神の大きな計らいへの感謝」、「厄除」、「生まれ清まり」を祈願する、土地の人々の素朴で強固な信仰によって支えられてきた祭りで、「花の舞」、巨大な鬼面を付けた「鬼の舞」、「湯ばやし」など、すべて青少年による13〜 16種もの舞が、祭場の中央に据えられて焚かれる大釜の周りを夜を徹して舞われる。ここで使われる鬼面も鈴も衣装も、すべて本業をもつ普通の村人の手によって代々作られ、伝承されて来ているもので、その鬼面も鈴も、またその鈴の音色や舞も村ごとに特色があって、微妙に違う。従って、これらの祭りで使われる道具や鬼面の作り手、舞の手が何かの理由で欠けた場合、簡単に隣村に助っ人を頼むというわけにはいかない。このような中で、「花祭り」 は数百年もの時を繋いで、今日に伝承されて来た。

1976年(昭和51年)、「花祭り」はこうして国指定の重要無形民族文化財に指定され、今日12地区において開催される。われわれが訪ねたのは「月地区」の花祭りで、これは鬼が焚火を「まさかり」で跳ね上げるという勇壮な舞で知られるもので、この情景はここ「月地区」の「花祭り」でしか見られない。因みに、舞床(まいど)の中央に据えられている大釜では、天下一品といわれる「みそ汁」が炊かれているのだそうである。

以下に、その折大変お世話になったKご夫妻、「志多ら」総合統括プロデューサーO様へ宛てたお礼状を以て、その内容をご報告することにする。(新経営研究会 代表  松尾隆)


 御 礼 / Kご夫妻様、O様はじめ「志多ら」の皆様

 

 謹啓 例年になかった暑さも過ぎ、いつか紅葉の候となりました。

 Kご夫妻様、O様はじめ「志多ら」の皆様には愈々御清祥にてお過ごしのこと、心からお慶び申し上げます。

 この度は、御地 「花祭り」に私共をお招きいただき、併せて和太鼓集団 「志多ら」の皆様の感動溢れる和太鼓と篠笛の演奏をお聴かせいただきまして、誠に有難うございました。

 また、Kご夫妻様、「志多ら」の総合統括プロデューサーO様には宿のお手配、スケジュールのご調整をはじめ、万端のご準備をいただきますと共に、ご繁用の中にも拘わりませず、両日、K様、O様自らご案内いただき、この度、お二方からいただきました過分なご高配に、一同、唯々、深甚の感謝の念を表するばかりです。誠に、誠に、有難うございました。

 とくにこの度は特別のお計らいに依り、K様のご自宅にて榊(さかき)鬼の巨大な鬼面の面付けと榊鬼の舞を間近に拝見させていただきますとともに、悪霊払いに榊鬼に身体の不調部分を踏んでもらうという過分なご配意をいただき、この度K様からいただきました身に余るご仁配には何と御礼申すべきか、言葉もございません。唯々、衷心より厚く御礼申し上げるばかりです。

 加えて、奥様のY子様には大変珍しい天然の自然薯をご馳走になりますと共に、いただきました珍味 「蜂の子」 は区長のH様がわざわざ私共のためにお持ちいただいたものとか、その上、H様には、当日、私共に今昔・村毎の鈴の材質や製作、音色の違いと特色をご説明いただき、更に花祭り保存協会会長K様には、私共のために 「花祭り」 と榊鬼の被る鬼面についてご懇切なご説明をいただきましたばかりか、後で、恐らく私共が初めてと伺いましたが、鬼面を手に取っての鑑賞をお許しいただくなど、この度御地の皆様からいただきました言葉に尽くせぬおもてなしに、一同、唯々感謝いたすばかりです。

 何卒、H様、K会長様には、私どもの深甚の感謝の念をお伝えいただきますよう、幾重にもお願い申し上げる次第です。

 その後、お訪ねした月集会所の 「花祭り」 会場では、暫し我を忘れ、言葉を失い、只呆然と見入るばかりでございました。一段高い舞台に設えられた槻(つき)神社の祭壇を前にして、太鼓と篠笛、囃子で祭りを進行していく地区の長老や古老、湯蓋(ゆぶた)に飾られた広い舞庭(まいど)で、大きな釜の周りを地固めの舞を舞う二人の若い男衆、その舞を囃すように、自由に飛び入り参加する地区の若い男衆、それを眺め、合いの手を打ちながら祭りに参加している地域の老若男女…。「これは祭りの原点なのだ …!」と、只ひとりごち、感動するばかりでございました。 

 この祭りは他人(ひと)に見せるための、見てもらうための祭りなのではない。自分たちが1年を無事、平穏に過ごせたこと、自然からいただいた恵みとその大きな計らいへの心からの感謝、それを互いに喜び合う人々自身の祭りなのだということが、身体の随まで分りました。これまでに経験のない、言葉にならない感動のひとときでした。

 「志多ら」の総合統括プロデューサーO氏から、「今、‘花祭り’を世界文化遺産にという声が出ているが、設楽(したら)の人々からはそれは何のための世界文化遺産か、という声が上がっている」 とお話しがありましたが、正に然りと共感いたした次第です。

 また、「花祭り」 の見学に先立ち、「志多ら」 の本拠地をお訪ねさせていただき、誠に有難うございました。その上、O様には自らご案内いただき、「志多ら」 の皆様をご紹介いただきますと共に、K様には月地区の花祭りで部屋番という重責を担い、文字通り超ご繁用の中にも拘わりませず、東薗目の「志多ら」 の本拠地までお出迎えいただき、何と御礼申し上げるべきか言葉もございません。

 お陰様で、「志多ら」 の皆様には貴重なお時間をお割きいただいて、その修練と生活の拠点で、感動という言葉以外に表現しようのない、素晴らしい和太鼓と篠笛の演奏をご披瀝いただいて、一同、心から感動いたした次第です。

 恐らく、偶然にそれぞれが出会った道だったのでしょうが、その和太鼓の世界に打ち込んで生きているうちに、いつかその世界で生かされている自分に気づき、生かされている自分を懸命に生きようと、極限の技の修練に励み、時には修験道にも似た肉体と精神の鍛錬をされている皆様方の実に懸命な、ひた向きに生きる日々の一端に触れ、そして魂に直に伝わり、魂を震わせる組太鼓の音、まるで一つの桴(ばち)で打たれているような一糸乱れぬ超絶の技、それを支えている1時間にも及ぶという打ち込みの練習、裂帛の気合いとその息遣いに触れて、そこに人間が本来持つ魂の美しさ、強さ、優しさ、微塵も揺るがない互いの信頼を、身体が打ち震えるほどに、全身に沁み渡るように感じ入った次第です。

 

 又、地元に溶け込んで生活されている皆様の実に自然なお姿に触れ、言葉にならぬ感動を押さえることが出来ませんでした。

 そして、この度の御地の 「花祭り」、 「志多ら」 の皆様と和太鼓の演奏との出会いを通して、私たちは改めて 「人の心を打つとは何なのか、何が人の魂を震わせ、感動させるのか」 、その本質を、原点を教えていただいた思いです。

 誠に有難うございました。

 この度、言葉に尽くせぬご高配をいただいたKご夫妻様、「志多ら」の総合統括プロデューサーO様、代表N様、総合演出のC様、そして魂が震えるほどに感動の和太鼓と篠笛のご演奏をいただいた「志多ら」の皆様、有難うございました。

 そして、この度のご縁が因となって、この度、「志多ら」様と弊会メンバーとの間に、新しいご縁が生まれましたことは、誠にご同慶の至りです。

 皆様方の益々のご健勝と今後のご活躍を、一同、心からお祈り申し上げます。
 今後のご高誼をいただきますよう、幾重にもお願い申し申し上げます。            

                                                謹白

                           平成25年11月24日 新経営研究会 代表 松尾 隆                                 

大型電力貯蔵用リチウムイオン電池の開発と普及を目指して/エリーパワー 吉田博一社長

《と   き》 2013年9月25日 
《講  師 》 エリーパワー株式会社 代表取締役社長 吉田博一氏
《コーディネーター》 放送大学 名誉教授 森谷正規氏

 

 2013年度前期「イノベーションフォーラム」第6回は、エリーパワーの代表取締役社長である吉田博一さんから、「大型電力貯蔵用リチウムイオン電池の開発と普及を目指して」というお話をいただいた。

 このエリーパワーは、平成18年に創業された企業であり、まさにベンチャー企業であるが、資本金が310億円で、これまでにはない最大級の規模のベンチャー企業の出発である。お話の全体を通して、じつにスケールの大きい内容であるのに非常に驚いて、さらに、エネルギー革新に寄与したいという強い想いから出発した創業であるのに強く感動した。
リチウムイオン電池は、日本が世界に先駆けて開発したのだが、いまのもっぱら携帯情報機器用の小型の電池では、サムスンなど海外企業に追いつかれ、生産量では抜かれている。だが、これからの本命は、乗用車用の中型と定置用の大型、超大型電池であり、来るべきエネルギー革命の中核になると予想されるものだ。その新しい需要では、日本が再び大きくリードすると期待できると、心強いお話であった。
 そして技術開発もさることながら、吉田さんの経営戦略がじつに見事であり、まさしくベンチャー企業が持つべき革新性に溢れている。驚くことは、吉田さんは住友銀行(現三井住友銀行)の副頭取を務めた銀行マンであり、技術はシロウトであったことだ。後に述べるが、シロウトの恐るべき力を発揮された創業であり、これは最も注目すべき点である。
 この創業における革新性に溢れた経営戦略は、多岐にわたっているが、それぞれを簡単に示す。
 第一は、リン酸鉄を用いる方式のリチウムイオン電池であり、これは安くはできるが性能的には不利(エネルギー密度でやや劣る)であるとされて、日本のほとんどの大企業は無視している型であることだ。しかし、量産性に優れ、資源的には全く問題がないという有利性から、大型の電力貯蔵用には最適であると判断した。
 第二に、安全性を最も重視したことだ。リチウムイオン電池は、航空機の事故でも明らかになったように安全性に問題が残っている。電力貯蔵用の大型では、これが絶対であるとして、安全性の確保に最大の努力をした。
第三に、ともかく安く提供できることが必要であるとして、そのためには相当に大きな量産規模が必須であると、なんと300億円の資金を調達して、創業して間もなく大規模工場を建設した。市場が育っていない中で、リスクを取る勇気があったのだ。
 第四に、ベンチャー企業は創業者がリスクを取る代わりに、上場すれば非常に巨額の創業者利得が得られるというかたちにするのだが、それがほとんどない社会事業的なビジネスモデルにしたことだ。それであるからこそ、巨額の資金が確保できたのであろう。その出資者は、吉田さんが示した理想を共有する多岐にわたる企業である。
 第五に、追い上げてくる韓国や中国などへの技術流出を防ぐために、量産設備を完全にブラックボス化するとともに、極度に自動化した量産によって、生産に携わる人員を極小にした。これまでの種々の技術における流出は、人の流出によって生じている面が大きいのである。
第六に、顧客のニーズに基づいた製品創造ではなく、顧客ニーズには頼らず、自ら市場を創っていくという製品創造に狙いを定めていることだ。これからの社会で必要とされるであろう製品を、先取りして創っていくのである。
これは、今の日本の企業が新しい方向を目指すべき戦略として挙げられるもののほとんどを含んでいると言えよう。ベンチャー企業は当然ながら、大企業、中堅企業も変わっていくべき時代であり、新たな戦略が必要であるが、まさしくそのモデルとなるのが、エリーパワーであり、創業者吉田博一である。
それが、技術にはシロウトの経営者によって実現された。ここにこそ、新しい道を進もうとする企業が取り入れるべき要点がある。
 ここであえてシロウトとするのは、クロウトの皆さんに警告を発するためである。私が野村総研にいた非常に古い話であるが、当時はアメリカの最高の知識人とされた著名なハーマンカーンの話を聞く機会が何度もあって、一つのことが今も鮮明に記憶に残っている。それは、「知り過ぎていることによる能力の欠如」であり、巨大なアマゾン川の水力発電所の開発では、先進国の技術者たちは適切なシステムを設計することができない」ということであった。
 日本の幹部級、トップクラスの技術者たちは、非常に豊富な経験と知識を持っている。それが、新しいことへの挑戦では、むしろマイナスになるのではないか。それを深く思わなければならない。吉田さんのように、真っ白のキャンバスに絵を描くように、挑戦したいものである。
なお、吉田さんは、ある面では大変なクロウトである。それは、お金を集めることであり、また大企業のトップと会って話して説得する能力である。大銀行で修行して副頭取まで務めたのであるから、その力は非常に優れているはずだ。
 このような産業界の超ベテランの方々が大勢現れて、強い想いを持って、まったく新しい事業を始めて下されば、スケールの非常に大きい事業となって、日本の産業、経済は大いに元気を出すに違いないのだが。

 (文責:森谷正規)

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