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銀塩写真礼賛

 今日(2014.4.8)、東京ミッドタウンの富士フイルムフォトサロンで開催中の写真展 「四季のいぶき」(2014.4.4 – 10)を偶然訪ねて感動し、同時に大きなショックを受けて写真展を後にした。

 すべて中判、または大判カメラで、銀塩カラーフィルムを使って撮影され、全紙大に引き伸ばされた、ハイ・アマチュアグループによる写真展だったが、その撮影技術と感覚の高さに驚嘆すると共に、改めて銀塩カラーフィルムの表現力に目を見張った。

 色の彩度と見事な階調、コントラスト、先鋭度、深い色彩、それと本来相反する筈の色彩の輝きと透明感、その色再現と表現力は何れも今日のデジタル写真を遥かに凌ぐものであった。最近デジタル写真にばかり触れているうちに、いつの間にか私の目は汚され、感度を余りに鈍らしていたことに愕然とした。

 思えば、1839年、フランスのダゲールから始まり、1851年、英国人アーチャーによって発表された湿板写真、1871年の同じく英国人マドックによる大発明・ゼラチンを用いた乾板写真を経て、ロールフイルム方式を考案して写真のアマチュア化・大衆化路線を切り開き、この分野で長く世界に君臨した巨人イーストマン・コダック(世界初のカラーフィルム、世界初デジタルカメラも同社の開発)、インスタント写真分野を切り開いたポライロイド、そして、やがて世界のリーディングカンパニーとなった富士フイルムに至る銀塩写真フィルムの歴史は、単に先端イメージング技術の開発競争の歴史であったばかりでなく、それは人類にとっての輝かしい写真文化、イメージング文化創出の歴史であった。

 われわれは、改めてこの先人たちが辿り着いた遺業を讃えたい。

 デジタル化によって、われわれが手にした恩恵は計り知れない。それは画期的なもので、とても言葉に尽くせない。

 しかし、一方、デジタル化によってもたらされる写真画質は、明らかに今日後退している。そこに気づかないでいることは恐ろしいことだ。これが、今日の文化と美意識全般に及ぶものでないことを祈りたい。

 デジタル写真が既に銀塩写真に取って代わっている現在、デジタル写真に関係する方々の一層の奮起を期待したい。

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