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2007-03

電子顕微鏡王国の復権を願って!/外村彰氏

外村 彰 氏

工学博士、理学博士
(株)日立製作所 フェロー
理化学研究所 フロンティア研究システム単量子操作研究グループ
グループ長

1965年 東京大学理学部卒  (株)日立製作所中央研究所入社
1990年 同基礎研究所主管研究長
1999年 同フェロー、現在に至る
2001年 理化学研究所 フロンティア研究システム単量子操作研究
     グループグループ長
2003年~2004年  (社)日本顕微鏡学会会長
電子顕微鏡の世界的権威。
世界最高の解像力を持つ「1MVホログラフィー電子顕微鏡」の開発を成功させた。日立入社以来、一貫して電子線装置に開発、及びその応用研究に従事。昭和49年から電子線ホログラフィーの研究に従事。現在、高温超伝導の謎の解明に興味。平成6年、英国王立研究所の「金曜口座」の講師に招かれた。
⟨受賞関係⟩
仁科記念賞、恩賜賞、学士院賞、フランクリンメダル、米国科学アカデミー外国人会員、文化功労者顕彰、他多数

   日本の産官学が、総力を上げて開発に取り組み、戦後一早く海外に輸出できる製品にまで育てあげた電子顕微鏡は、やがて性能・生産量の両面で世界一を誇るに至った。その高度な観察・計測技術が、日本の先端技術開発を支える上で大きな力となっただけでなく、光では対応しきれなくなったデバイスの検査装置にまで利用され、半導体産業などに直接貢献している。
   この電子顕微鏡に、今、新しい革新の波が押し寄せ、「これまで見えなかった小さな原子や分子が直接観察できるかもしれない。」と、世界中が色めき立っている。技術的に困難とされてきた無収差電子レンズの可能性が1998年ドイツで示されるや、それまで日本やヨーロッパに先を越され辛酸をなめてきたアメリカが、政府主導の基に次々と新しい政策を打ち出している。2001年、“TEAM”(Transmission Electron Aberration-corrected Microscope)プロジェクトを立ち上げ、エネルギー省(DOE)傘下のArgonne、Oakridge、Berkleyなどの5つの国立研究所に前例のない投資を行い、原子分子の観察などでナノやバイオの研究のイニシアティブをとろうとしている。2006年、これに負けじとヨーロッパもEU連合プロジェクト“ESTEEM”(Enabling Science and Technology for European Electron Microscopy)を立ち上げ、EU諸国間の連携と要素技術開発に着手した。こうした新装置の開発熱に伴って、産業面ではFEI(アメリカ、フィリップスの子会社)、CEOS(ドイツ、収差補正技術)、NION(アメリカ、収差補正技術等)の技術や生産が急激に高まり、日本を追い越す勢いにある。

   遅ればせながら日本でも文科省が電子顕微鏡検討委員会を設置し、その報告書に基づき2006年夏から要素技術開発プロジェクトがスタートした。現在、学術会議に於いて広くイメージング技術に関する分科会の検討が進められている。

   しかしアメリカでは、TEAMプロジェクトのはるか先を見た攻勢が続いている。5年を終了したTEAMプロジェクトが継続されただけでなく、2006年夏には世界中の電子顕微鏡の研究者をCornell大学に招いて「電子顕微鏡の性能はどこまで向上するのか?」を議論するワークショップが1週間にわたって開催された。さらに、3月初めにはDOEの主催で、40名の電子顕微鏡の研究者をワシントンに集めて、10年、20年先の次世代電子顕微鏡へのロードマップと投資について議論が行われたばかりの所である。この畳みかけるようなアメリカの攻勢に対して、日本は一刻も早く、数少ないお家芸の奪回に向けた長期戦略を立て、電子顕微鏡の開発研究の拠点を設けるなどの具体策を実行に移さねばならない。このまま事が推移すれば、ナノやバイオを初めとする我が国の先端技術に、影響がじわりと及んでくることは目に見えている。

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2007年度 賀詞交歓会

〔2007年度賀詞交歓会〕
 去る2007年2月19日(月)、東京都千代田区永田町の山王日枝神社で、遅れ馳せながら、新経営研究会の極く内輪のコアメンバーによる、本年度賀詞交歓会が行われた。

今年も、今や恒例となった、関東学園大学客員教授 元日本IBM専務取締役 鴇田正春氏による「中国古代算命学から観る、2007年の時代的特徴と今後の推移」と題したご講演の後、麹町囃子社中の皆さん方によるお囃子と獅子舞を楽しんだ。

〔鴇田正春氏ご講演要旨〕
テーマ:「中国古代算命学から観る、2007年の時代的特徴と今後の推移」 
 
 日本にとって、今日という時代は余り良い時代とはいえない。

 日本は、今、衰退途上にある。
東洋史観では、自然界はバランスで成り立っており、このバランスが取れているものだけが生存・存続出来、バランスを欠くと衰退して、やがては消滅して行くと考える。 この、「全てはバランスで成り立っており、太陽と太陰(月)というように、世界は全て陰と陽の二つの要素で成り立っている」という考え方から生まれたのが、陰陽説である。
又、東洋学の考えには「軍略」と「戦略」があり、軍略の大目的は「集団の生存・存続」を考えること。その手段の一つが経済である。「戦略」とは、基本的に戦争の勝ち方を考えることである。
日本が衰退期に陥った第一の原因は、物質文明と精神文明のバランスを大きく欠いたこと、第二に本来手段であるべき経済が全てに優先され、目的となってしまったことに起因する。
従って、長期的に見た場合、衰退期にある日本が今後直面するであろう大きな諸問題には、

  1.  
    • 碌 馬(ロクバ)現象:
      国が蓄積して来た財産が、諸外国から様々な形で吸い取られて行く現象
    • 棄 民(キミン)現象:
      国が国民に犠牲を強いていかなければ立ち行かなくなる、という現象。
      このようなことから富の二極化が起き、やがて意識も二極化して来て、国が中々一体化出来ない状態になって来る。
      このような時には決して戦争を仕掛けてはならない。しかし、他国にとっては、日本に戦争を仕掛ける絶好の機会となる。
    • ナショナリズムの台頭:
      黒白をはっきりさせ、曖昧なことや公私混同を許さなくなる。
      やがて、国家レベルでも周辺諸国に対して黒白をはっきりさせるようになり、 バランスの取れた政治が難しくなって、外交面で孤立化が始まる。
    • 資源・食料の入手困難事態

などなど、様々な問題が次々と起って来る。
   そして、2010〜2012年頃、国論を二分するような事態が起きるのではないか。
その理由は、昭和36年に制定され、これまでプラスに働いてきた日米安保条約が、50数年を経過して2011年頃になると、今度は逆転してマイナスに働いていくようになる。これを反転作用という。
この、50年後に反転作用が来るというような歴史観は、西洋にはない。
具体的には、例えば日米関係の見直しのような、大きな動きが出て来る可能性がある。
   東洋学では、その5年程前に予兆現象が現れ始めるといわれているので、今年辺りから、日米関係のギクシャクが表面化し始めるのではないか。
それがやがて国論を2分する大問題となり、改めて日本の将来に対する新しい方向づけがなされ、基本的には‘国家主義’という方向へ向って、東洋学の計算上では2016年辺りに憲法改正が行われるだろう。そこから、日本は再び陽の時代へ転換して行くことになる。
   又、日本に非常に近い所では朝鮮半島。そうなれば勿論日本でも大騒ぎになるけれども、日本は国際的にも蚊帳の外に置かれて、ただ傍観しているだけという立場に立たされる。このことで日本が口を出したり、何らかのリーダーシップを発揮出来るというような余地は全くないだろう。
以上を前提としながら、今年平成19年という年を観てみると、今年の大きな問題の一つとしては、政治が混迷期に入るということである。
   このような時、安倍総理が、かつての近衛さんのような「言わずもがなのこと」を言ってくれなければいいな、というのが私の一番の心配事である。
   そして、今年は亥年である。
   この「亥」という文字は元々は男性と女性が一つに重っていることを表わしている表意文字で、従って、亥とは、本来、新しい生命が生まれるという年回りを意味する年である。
   月でいうと11月が亥月。地上から作物がなくなって、地下で種が次の新しい生命を育んでいるという、中でエネルギーが溜まっている状態が亥年の本来の意味である。亥という字に木ヘンをつけると核という字になるのは、この事に由来する。今年はエネルギーが溜まっている年回りだぞ、ということを表しているのが「亥年」。
この亥年という年回りには、歴史的に大きな天変地異が起きる可能性が比較的高い。かつての富士山の大噴火、大正10年の関東大震災、平成7年の阪神淡路大震災、何れも亥年の被災であった。しかも、衰退期にある国にこの大異変が起きる時はその国の中心部に起きる、と古代人は計算している。願わくははずれてほしいものである。
   又、海外では政治的内紛が多く、テロの多い年になるだろう。
   今年、とくに日本の運が悪いと思うのは5月と9月辺り。
   今年1年間の日本の特徴を置換法で置き換えると、今、日本は秋の土用、イヌの月。
   イヌ月というのは、滅するという月回りを表わしており、この地上から食べ物がなくなって、これから厳しい冬を迎える、ということである。
  衰退している日本は、これからはこれまでの蓄積で食べていかなければならない時代になる。
  今、日本が真剣に考えなければならないのは東洋の軍略である。「日本、或いはその集団の生存・存続」という大目的に立って考えることである。
国家がかかる状態にある時、日本にとって、最もまずい施策は成長戦略を取ることである。
成長戦略をいうと皆に大受けし、気分も高揚するかも知れないが、若しこのような時期に日本が成長戦略を取れば、後に極めて大きな禍根を残すことになるだろう。
   こういう時期に最も肝心なのは、「守りの戦略」の徹底である。
   それから、周りの国ととにかく喧嘩しないこと。
   それには、国民がどれだけ多面的にものを見、バランスのある考えや判断、行動が出来るか、という国民全体の知的レベルが問われて来る。

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差別化という言葉

新経営研究会 代表  松尾 隆

 企業の命とは、企業規模の大小、ビジネスの如何を問わず、それは企業が持つ夢と精神、この企業をこうあらしめたいと願うトップの強烈な欲求とその実現への確固たる意思である、と思う。
 技術・製品・事業・企業文化というものも、この初めにある企業の夢と精神とフィロソフィー、そしてそこに携わる人々の、その結晶に他ならない。
 最近、‘差別化’という言葉がよく使われる。
 しかし、私はこの‘差別化’という言葉はあまり好きでない。
 ‘違い’とか‘差別化’というのは結果である。
 結果の目的化が起っているのではないか?
 重要なのは、今自らが実現したいと志しているもの、何をどう在らしめたいと願っているのかという強い思い、求めている独自の価値、或いは世界ともいうべきものである。
  かつて、アルフレッド・P・スローンは、その著‘GMと共に’において、「如何なる事業を経営するにも、その産業についての独自の定見が不可欠である。同じ産業に属すると見られる企業の間に、その産業についての考え方に違いがあれば、それは最も強力かつ決定的な形で、相互の競争力として現れる傾向にある。」と述べているが、将に至言である。
 差別化とは、比肩の世界の言葉に過ぎない。
 それは、差別化すべき相手があって始めてあり得るものである。しかも、その尺度は常に外部に在って、自らの内にない。
 差別化を目的意識した技術・製品開発、事業経営をつづけていると、いつか本来の夢と志を見失い、自らの原点をも忘れて、ついには真の競争相手を見誤ってしまうばかりか、独自の時代観を持てなくなってしまう。
 差別化から生まれて来る技術・製品・事業でなく、独自の時代観と定見の下、自らの志・夢・思いに根ざした技術、製品・事業というものを生み出して行けないものか。
 そこに、自らの特徴と強みを活かした、世界の先行指標と成れる独自の技術・製品と独自の存在価値も創出され、このグローバル化の時代における真のリーダーシップも生まれて来る可能性もあるのだと思う。
 このグローバル化の中の企業環境激変の今日、今や待ったなしの、もはや小手先では如何ともし難い、本質的な事態が起っている。時代の要請に応え得る独自の価値の創出と、独自の存在価値が問われている。
 送り手の熱い思い、確固とした志から生み出されたものでなく、目先の競争と差別化が目的で生まれて来た技術・製品がどうして人々の感動を呼び、そこに携わる人々の心を結集して行くことが出来るだろうか。

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