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2011-12

大転換期の今後の日本の“ものづくり”経営を考える/シャープ堺工場訪問

 

と   き:2011年12月2日
訪問先 :シャープ(株) (石川県・輪島市)
 
講  師 :代表取締役 副社長執行役員 太田賢司氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏

 2011年12月2日に、シャープ(株)堺工場を訪問した。堺工場は、異業種・独自企業研究会の2010年度後期最終回として、本年3月16日に訪問する予定となっていたが、直前の3月11日に起こった東日本大震災により、延期を余儀なくされていた。関係者のご努力により、9ヶ月後に訪問することが出来た。シャープ堺工場は、世界最先端の第10世代液晶マザーパネル工場として建設されたものであり、かつ環境・省エネに配慮した21世紀型コンビナートと位置づけられており、今回はパネル製造工程も見学予定に組み込まれているため、多大の期待を持って訪問した。

 最初に代表取締役 副社長執行役員 技術担当兼東京支社長の太田賢司氏による「大転換期の今後の日本のものづくり経営を考える」と題した講演を伺った。講演会場の正面には、シャープの液晶最先端技術を具現化した60インチパネルを20枚組み合わせた大型スクリーンが壁一面に設置されており、明るくかつ鮮明な画像が映し出され、講演内容が分かり易いだけでなく、視覚的にも説得力の強い技術であることを参加者に印象付けた。

 シャープは創業99年になる。最初は部品メーカーとして出発し、後にアッセンブリーメーカーへと変身したが、99年後の現在は曲がり角に立っている。

 99年間で社長は5代目であり、一人平均20年間は在任したので、リーダーシップも発揮出来易かったし、経営トップの考え方も継承され、発展されて来た。初代の創業者早川徳次社長は「人にマネされるモノを作れ」、二代佐伯社長は「新たな需要を創造する」、三代辻社長は「ユーザーの目線にたった商品」、四代町田前社長は「ナンバーワンよりオンリーワン」、片山現社長は「技術に限界なし」と言っている。

 2011年度3月期の連結売上は3兆219億円で、AV・通信機器47.2%、液晶20.3%、情報機器9.1%、健康・環境機器8.9%、太陽電池8.8%、その他電子デバイス5.7%の割合となっている。大きく括ると、エレクトロニクス機器が65.2%、電子部品等が34.8%である。単品メーカーからアッセンブリーメーカーへと変ってきたが、これからはソルーション分野へと進んでいきたい。

 同期の地域別の売上構成は、国内52.7%、中国17.1%、欧州12.2%、米州10.0%、その他8.0%であるが、米州は↓、中国とその他が↑である。

 国内には亀山、堺を代表に拠点を有しているが、国内工場の新設は難しくなった。今後は既存工場の中味をリフレッシュしていきたい。海外では、26ヶ国、60ヶ所に展開中。ただ、今までは南米とアフリカには拠点を有して居なかったため、現在展開を図っている。

 液晶パネルとTV組立は従来は別の工場で作られていた。それを一つの工場で一貫生産し、世界の液晶TVを目指したのが、堺工場建設のきっかけだった。当初は8世代パネルでそれを行う予定だったが、リーマン後の市場収縮と8世代パネルでは追随者があったため、堺工場は計画変更し、10世代パネル工場に決めた。同時に災害時の安全性を高め、協力会社と一緒にコンビナート形式を採用した。米国で60インチ、70インチの液晶TVが売れ出し、会社にも元気が出て来た。

 性能的には、32インチの例では、2004年度対比2009年度で72%の消費電力減少を実現し、従来の3原色液晶を4原色液晶に改善して黄色味の向上を実現した。

 シャープの先進性を示している別の例と言えるのが太陽電池である。2GWの生産計画で、現在一部が稼働している。太陽電池として2010年までに累計4.3GWを生産したが、残念ながらシャープで唯一の赤字事業となっている。LEDにも力を入れており、段々とモノになりつつある。堺工場の照明は全部LEDにした。

 堺工場(グリーンフロント 堺)の液晶パネル工場は計画の1/2の広さまで建設したので、未だ敷地には余裕がある。敷地内では、植物工場やソーラーによるエコハウスなど、次の商品をテストしている。

 30年先を見据えたシャープの企業戦略は、多様性尊重の時代になることにより、これから新しいシステムやビジネスが誕生するので、それをつかむには今から何を始めるべきかという視点に立っている。そういう時代の変化を考えるには、3つの視点が必要となる。

① 社会インフラの変化。あらゆるものの根幹はエネルギーであるから、エネルギー変換技術の活性化を考える。主たるエネルギー資源は石油、天然ガス、石炭であるが、最も需要の多い石油は、およそ46年程度で枯渇する。その時どのようなエネルギーを用意しておくべきか?

② 社会ニーズの変化。モノの豊富さから、健康・安心・安全の重視へ変わるので、健康・環境保全技術を考える。食料需要の増大と食料安全リスクの高まりにどう対処すべきか?

③ 個人の人生観・価値観の変化。長寿社会を生きるアイデンティティの追求による新たな価値観の創造。

 こういうグローバル変化への対応は、どの企業でも考えていることなので、その中でシャープが勝ち残るための戦略が必要となる。そのためには、

①     成長分野への展開。エネルギー分野、健康分野、環境分野の3分野を成長分野とし、そこでの展開を行う。エレクトロニクスと成長分野の融合を目指す。

② 地産地消の強化。成長地域での開発、生産、販売の実施。これには、国内空洞化リスクとのバランスを考えながら行う。

③ バリューチェーンの拡大と連携。川上から川下までバリューチェーンを拡大し、強くても儲からない収益モデルから脱却する。また、この縦の拡大と同時に、異分野・異業種や大学・研究機関との連携を行い、横の拡大も行う。従来のように、社内の技術開発だけではなく、縦・横への連携を強化するのが「和の力」となる。

④ オンリーワンとオープンイノベーションの両立。オンリーワン技術を武器として、異分野・異業種の強者と組むことにより、事業化スピードを加速し、更に強いコア技術で新規事業分野を切り拓く。

 以上の戦略を具体的に検討している例として、①では、エコハウスやエコタウンの概念に基づいた堺実証ハウス、②ではマザー工場で培った技術でのイタリアのソーラー展開、③では太陽電池から、ソフト、発電までバリューチェーンを取り込んだ例、④ではソーラー事例と東京大学とのコラボ例が示された。

 これからの事業展開では、21世紀の「自然に帰る」という価値観の変化に対応し、より自然な画像を見るための「次世代TV」,太陽光エネルギーを利用した「太陽光発電」、より自然な光の中で暮せる「LED照明」、より自然な雰囲気で暮らせる「プラズマクラスターイオン」を普及させたい。

2012年は創業100周年を迎えるので、それに向けたビジョンとしては、

① 省エネ・創エネ機器を核とした環境・健康事業で世界に貢献する。

② オンリーワン液晶ディスプレイでユビキタス社会に貢献する。

 ことにより、「エコ・ポジティブカンパニーの実現」を目指したい。

①シャープは、過去自社技術を武器に事業を創出してきた。技術だけで新事業は出来ないが、マーケット調査をしても新しい商品は見つからない。三代辻社長は、「ニーズは作るモノである」と言っていた。花王の常磐社長、アップルのスティーブ・ジョッブスも同じことを言っている。現在のシャープでは、この点はどのように行われているか?

 → 辻社長の言葉として、「ユーザーの目線にたった商品を作れ」を引用したが、実はその後に「需要を創造するモノを作れ」が付いている。マーケットで調べたのでは、遅すぎる。新しい商品や技術は下から出させ、方針は上から出している。方針は概念だけで具体的な内容は言わないので、下からの提案が重要である。

②(この点をパーティーの席で、太田副社長に確認した。)新しいテーマをどうやって産み出させるのか? 研究者のやる気を引き出すにはどうしているか?

 → 市場規模など経済性が不明で、全社で検討すればボツにされるようなプロジェクトに金と人を許容する仕組みを有している。研究者が提案し、研究所レベルで可否が判断される。太田副社長は判断には参加せず、報告を受けるだけ。そのため、研究者がやりたいというテーマが沢山提案されてくる。

 ③液晶TVの価格が急激に下がったのは何故か?

 → 想定内と想定外の要因がある。追随者が出てくることは想定内。想定外は、価格低下のスピードが予想以上に速かったこと。半導体の価格低下は技術流出のためなので、この二の舞を避けるため、技術のブラックボックス化を行った。それでも、予想よりは早く流れてしまった。また、税金、物流、エネルギーなどのインフラが過大で、コスト分析すれば、地産地消は避けられない。企業レベルではどうにもならなり状態になってしまったのも、想定外だった。

 ④政府補助がなければ、太陽発電のコストが合うためには、発電効率は何パーセントまで向上する必要があるか?

 今の効率では回収に15年必要。補助の7万円を含めても、回収に10年掛かる。発電効率自体はベストで約40%あるが、高価であり、普及のためには建設費、維持費を含めたトータルコストの低下が必要である。

 

工場見学に移る前、DVD、次いでグリーンフロント堺企画推進センター 森拓生所長による説明があった。

・ 堺工場はバーチャル・ワン・カンパニーとして設計されており、エコと見える化を徹底し、高効率なクリーン工場となった。

・ 敷地面積は127万㎡(38.5万坪)あり、天安門広場とほぼ同じ。

・ 材料、インフラ、物流に関係する19社が協力している。エネルギーは1ヶ所で発電・加熱し、それを全工場へ搬送している。工場棟間にはインフラとしての搬送システムが作られており、物流コストはゼロである。

・   環境対策としては、a)すべての照明はLED、b)廃熱は純粋の製造に活用、c)下水は高度処理して工業用水に再利用、d)廃ガラスは透水性歩行用ブロックへ再生、e)ソーラー発電などを実施しており、グリーン社会の創造を目指している。

・ 第10世代は液晶パネルのサイズが2,880mm x 3,130mmあり、2009年10月に生産を開始した。月産72,000枚。70インチTV、大型壁面ディスプレイ、電子黒板などに使用される。

・ 薄膜太陽電池は年産160MW、単結晶太陽電池は年産200MWである。

・ 震災に備えて、液状化対策、耐震ダンパー、津波対策などを実施した。

次いでグループに分かれて工場見学を実施した。液晶工場棟は400m x 400mと広大で、通路から工場内を見ても、反対側ははるか彼方にあり、その間にはびっしりと機械が並んでおり、機械が何台あるのか、工程が何列あるのかは数えるのが困難であった。

① 液晶工場

・ 4階フロアーを見下ろす通路を歩きながら、液晶パネルの製造工程を見学した。各階の天井は大変高く作られており、通路はその階の高い位置にあった。

・ 露光装置 第10世代のパネル用ともなるとさすがに大きく、重さは200トンで、テニスコート一面分のサイズがある。装置は4台見えた。

・ 露光装置へパネルを搬入、搬出する搬送装置。工程の流れは右から左だが、左側でレジストを塗布したパネルを、搬送装置が左から右へ送って露光装置へ入れ、露光済みのパネルを取り出したら、右から左へ移動して次の工程へ送る。

・ 現像装置。露光装置からのパネルを現像する。工場内のクリーン度は10で、見回しても工場内には人が見えない。

・ 検査装置。TFTパターンを精査する装置。パネルはエアで浮かせて搬送する。

・ バッファーエリア。400m x 400mの工場内を縦横に走っている。パネルはカセットに乗せ、カセットごと次の工程へ移動している。カセットの重みは3トンある。パネルはサイズが大きく、しかも薄いため、カセットが動くとパネルが大きく撓うのが分かる。装置設計や作動条件は、ノウハウの塊であることが容易に推定出来る。

・ 洗浄装置。洗浄の後、スパッター装置へ搬入される。

・ 4階のフロアーレベルに降り、スパッター装置を観察した。

・ 3階へ移動し、TFTの検査工程を見学。動作確認を行う。

・ TFT目視検査と修正工程。合格品は2階の液晶工程に送られた後、1階で必要なサイズにカットされる。

・ 耐震ダンパー。震災対策の一部である建物の耐震ダンパーを見学。

・ 現像液の回収工程。回収液は4階の液晶工程へ戻される。

② 工場敷地内のエネルギー搬送と協力工場群

・ 工場内をバスで移動しながら、電気および加熱媒体の工場内配送パイプおよび協力工場群を外から見学した。

③ エネルギーセンター

・ 工場内にエネルギーを供給するセンター。大きなパネルで工場内をモニターし、地震や自然災害の情報も同時にモニターされている。これも協力企業の一つ、関電の総合エネルギー管理システムで稼働している。

・ セキュリティー、工場毎のエネルギー消費状況が大型パネルに表示され、エネルギーの見える化が徹底されている。

・ エネルギーの”Just in Time”で大幅な省エネが達成出来た。

・ 工場の屋上に、9MW、max10MWのソーラーパネル設置を予定している。

 

 今回の訪問では、オンリーワン技術を追求してきたシャープが、激変の時代を迎え、どのように将来の技術開発を実施しようとしているかを知り、かつ秘密のベールに包まれてきた第10世代の液晶パネル製造工程を間近に見学出来るという大きな期待があったが、その期待は二つともに達成出来た。

 基本的な経営方針として、大きな方向は経営が決めるものの、具体的な新技術や新商品の開発には、技術者の思いや提案を重視し、例え短期的に市場性が見えないモノであっても、金や人を投入してそれを育てていく姿勢が明確に示された。その基本には、「人にマネされるモノを作れ」という創業者の理念が形を変えながら、脈々と流れていることが企業カルチャーとなっているためであろう。

 「市場からニーズを聞くのではなく、市場へ新しいモノを提案していく」という姿勢は、メーカーとしては王道であり、人を真似るのではなく、人に真似されるオンリーワン製品を作り出すという考え方は、グローバル化の中で短期的には非効率的に見られがちであるが、これからの予想困難な変化する社会においては、長期的に勝ち残れるやり方だと思う。その意味でも、ぜひシャープがそのことを世界に示して欲しいと強く期待する。

 また第10世代の液晶パネルは、予想以上にサイズが大きく、かつ薄いため、そのハンドリングは並大抵ではないノウハウが必要であることが実感出来た。ただ、これらの工程に使用された搬送機器、現像機器、露光機器など機械装置メーカーは、同じ装置をシャープの競合相手にいずれ売って行くだろうから、現在の技術優位性が何年保てるかは予断を許さない。個々の装置以外の、トータルとしての製造技術、製造ノウハウでそれを伸ばすとしても、結局はオンリーワン製品の開発が勝敗を決めることになる。そこでは、シャープ創業以来のカルチャーこそ決め手となるであろう。その時の来ることを、十分期待して良いことが本日の訪問で確信出来た。(文責 相馬和彦)

 

「日本の‘ものづくり’の本質を輪島に見る/(株)輪島屋善仁訪問」

と   き:2011年11月22日-23日

訪問先 :(株)輪島屋善仁 (石川県・輪島市)
 
講  師 :代表取締役社長 中室勝郎氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏


2011年度後期の第3回は、平成23年11月22日と23日の両日に渡り、石川県輪島市にある輪島塗の最高峰に位置づけられている輪島屋善仁を訪問した。高度な技術に支えられて来た日本の伝統産業が、市場の嗜好変化とグローバル化の中で危機に瀕し、次々に縮小や廃業に追い込まれている。漆器の世界でも全く同様で、輪島塗の企業も年々減少している。そういう環境で、漆器の「生活芸術品」としての普及を目指し、輪島塗の原点に回帰した施策を次々に実行しているのが八代目当主中室勝郎氏である。今回の訪問では、具体的な施策とその背景にある思いをお聞きすることが出来た。

今回は、中室氏の講演と工房見学ばかりでなく、翌日は江戸時代に輪島文化の中心を占めた「塗師の家」の訪問が組み込まれていた。「塗師の家」は中室氏が廃屋に近い状態から修理・復元したもので、復元後に日本一美しい町屋として建築学会からも認定されたものであり、輪島塗の原点を示すものとしても貴重な文化遺産となっている。

 

最初に「生活芸術品の国・ジャパン ~そのモノづくりのルーツと精神~」、と題した講演を、輪島屋善仁 代表取締役社長 中室勝郎氏からお聞きした。以下に要点のみ纏めたが、氏の講演・工房見学および翌日の「塗師の家」での説明内容には、深い学識、高い見識、確かな技術に支えられた志の高さが随所に見られ、漆器に対する深い愛着と思いに溢れた感動的な内容であった。纏めでは、それが十分に反映されていないのが残念である。

日本という国は、古代より開国と鎖国を繰り返して来た。開国の時には旺盛な好奇心で他国の文化を吸収し、鎖国の時にそ

れを熟成することを繰り返して、独自の文化を築き上げて来た。古墳時代~平安初期は開国、平安中期以降は鎖国状態で、かな文字や着物を始とする国風文化が発展した。安土・桃山時代になると開国し、欧州の大航海時代による東洋進出の影響で様々のものが入ってきた。江戸になると鎖国したので、導入したものが熟成され、江戸文化が花開いた。明治になると開国したが、第二次世界大戦中は鎖国状態で、中川一政はこの時期を「この度の鎖国は良かった」と評している。熟成する力が日本の精神的文化的遺伝子の作用だとすると、現代の開国がずっと継続し、鎖国が今後は無いとすると、将来は独自の日本文化は消えていくことになるのか?

まれた。氷河期に大陸では動物の数が減少したため、農耕へと移行したが、日本列島では農耕が必要ない豊かな自然に恵まれた。そのため、自然への感謝の念が生まれ、万物に魂が宿ると考えるようになり、人の作ったモノにも魂が宿ると展開した。縄文時代に食べた魚の骨を並べて埋めたり、壊れた土器を並べて埋めたりしたのもそのためである。こういう縄文時代に、モノづくりの遺伝子が日本人に刷り込まれた。縄文時代の土器には、様々な模様が刻まれているが、弥生時代の土器は決まった形で、模様も消えた。日本のモノづくり精神の遺伝子は、縄文時代に刷り込こういう縄文時こういう平和な縄文時代の影響を強く受けた日本は、心豊かな生活文化を持つ国として発展した。明治の日本人は、貧しくとも気高く、清潔で明るいと外国人の称賛を受けた。現代で言うと、ブータンのような評価だった。代は11,000年も続き、飢餓や戦争もなかった。弥生時代~現在までの年数に比較しても、縄文時代は日本の歴史では圧倒的に長い期間だったので、精神的な影響力も大きかったはずである。ここで縄文時代以降現代まで、時代を色別に分けたテープを伸ばし、縄文時代の長さを視覚的に示したので、論点が実に明快に理解出来た。

英国のバジル・チェンバレンは、東京大学の言語学教授として31年間滞在し、「日本事物詩」を著したが、その中で「アート、ネーチャーに相当する日本語はない」、「日常生活に用いるどんなつまらないものでも、出来る限り目を喜ばせ、心の糧となるようなものであるべきだというのが、日本人の人生観である」と書いている。生活そのものがアートであり、美は魂を作るものであった。米国のパーシヴェル・ローエルは日本について「極東の魂」を書いたが、その中で「日本人は地球上で最も幸福な民族の一つ」と述べており、それを読んだラフカディオ・ハーンは来日を決めた。イサム・ノグチは「アートは魂を救うモノ」と言っており、日本人の美意識が表れている。アートは西洋では一部の人のものであるが、日本ではアートは万民のものであった。

漆は魂の器と考えられてきた。ウルシは、包み包まれるものを意味し、ウルシはウルシノキの傷の治療薬であり、血液である。ウルシノキは20年かけて育てられた後、傷を付けられた後、180日の間に200~250cc程ウルシを分泌して伐採される。採取したウルシは、漆工により器に使用されるが、これは魂の還流、命の再生を意味している。

「ウルシノキは人を恋しがる」と言われ、10,000年前から人の手で植栽されてきた。12世紀以降の仏具はウルシを使ったものだけとなったが、漆器が仏の魂が籠もる器と考えられたためである。16世紀になると、食用の器にほとんどウルシ製が普及したが、ウルシはウルシノキの血液で命そのものという考え方があり、これが血は食によって作られ、食は命という考え方と結びついたためである。

工房見学を控えていたため、講演はここで打ち切りとなったが、僅かな時間の中で質問を挿入した。

【1】岩手の二戸でウルシノキの植林を行っているとのことだが、もう少し詳しい説明をお願いしたい。

→→ 国内で使用されているウルシの95%は中国製である。下塗りに使用する限り、中国製と国産では品質に差は見られない。しかし、上塗りでは中国産と国産では雲泥の差がでる。そこで国産ウルシを確保するため、岩手に10万本の植林を自社で実施した。国産のウルシには、強さ、美しさ、優しさ、特に優しさで大きな差が出るので、何とかして国産ウルシの生産を促進したかった。

 中国でもウルシは後15年程度でなくなるとの危惧がある。80%以上は陝西省で生産されている。合弁での植林提案が相手からあったが、様々な事情で苗木の提供を提案した。その後寄付の話が持ち上がり、様々な経緯を経た後で、結果的に中国で5,500万本の植林が達成出来た。

【2】輪島屋善仁では、上塗りの国産ウルシに油を添加せず、100%ウルシのみで製造しているとのことだが、その理由は?

→→上塗りの国産ウルシに、15%程度の油を添加して塗ることが日常行われているが、油を添加するとウルシが塗りやすいためである。しかし、見る人が見れば、油を添加しているかどうかの差が分かる。善仁では、日本で一番良い物を作りたいと思っており、そのため油は一切添加せず、100%国産ウルシのみの上塗りを使用している。

 質疑終了後、工房へ移動して工程を見学した。まさに手作りの工程で、一人一人の職人が各工程を分担して作業している様子を、間近に見ることが出来た。見学の際の説明や質問への回答では、「日本最高水準」、「輪島塗史上最上」という言葉が極自然に口に出てくるのを聞き、この工房の志の高さが尋常ではないことが良く理解出来た。

【1】上塗り工程
・ 強さ、美しさ、優しさの形を仕上げる工程。
・日本漆芸史上最良のウルシで、日本人の「魂の器」を再生する。百年、二百年先の評価を基準とした赤、黒の仕上げを目指している。
・黒にはカーボン、朱には鉱物を使用。風呂(乾燥機)でゆっくりと乾燥するので、固まる前のウルシが垂れないように、上下に回転させながら塗る。刷毛には40年以上前の中国人の髪の毛を使用している。日本人の髪の毛は使用出来ない。一度でもパーマを掛けた髪の毛は、使用不可。
・ ゴミが出来ないよう注意しているが、それでも細かいゴミが漆器に付くので、一つ一つ手で取り除く。
・上塗には6週間ほどかかり、歩留まりは97~98%。

・ ウルシに含まれているゴミは、吉野の和紙で漉す。10回和紙を通して漉すが、力を掛けずに自然落下で漉すのが良い。

・ 材料の木によって個性が異なり、個性を見て塗り方を工夫する必要があるが、この見分け方が一番難しい。

【2】絵付け
・蒔絵の絵付けは平面では筆で直接漆面に画いて行くが、漆面が曲面の場合には、曲面の和紙に画いたものを写す。
・蒔絵では、器の品位と蒔絵の品位が一致することを重視している。
・梨子地は、漆面の上に金粉を蒔き、更に漆を塗ってから磨く手間の掛かる仕事。

【3】下地塗り
・木地は木地屋から購入し、木地の弱い縁面を落としてから、下地塗りで新しい形を作る。
・ 塗りに使用する道具(ヘラ)は、アテ(アスナロ)から自分で作る。
・木目に順じて仕上げるが、ヘラ跡は百年後、二百年後に見える可能性がある。
・エッジに布を貼ってから(布着せ)、地付けを行う。

【4】 研ぎ
・エッジと全体を砥石で研ぐが、簡単なもので5~6個、複雑なモノを研く時には、10個以上の砥石を使用する。
・塗りと研ぎを9回行った後、初めて蒔絵の工程に回る。

【5】全行程についての中室社長のコメント
・輪島塗は分業システムなので、どうしても自分の工程は良く見るが、全体を纏めて考える視点が抜けてしまいがち。
・各職人には、心得を徹底するとともに、欠点あれば前の工程へ返品することで意識を浸透させている。
・ハードな仕事であるが、職人の希望者は居る。食えない、雇えないのが問題。近年だけで、市場は1/5、塗りの会社は1/2に縮小してしまった。供給者も注文を待っているのではなく、供給者自身が変化する市場へ提案することが必要である。

どこの企業でも、社是や現場の標語があり、それを見るとその組織の風土がおよそ分かるので、そういうものがないかと探していたら、工房に掲げてあったものを見付けた。以下に引用するが、それまでの印象を更に補強する内容であった。

善仁工房定め

1. 職人は人格崇高たるべし

1.漆 木地等材料は日本最高水準たるべし

1.技 工法は輪島塗史上最上たるべし

1.意匠は日本工芸史上に秀れたるべし

右、屹度遂行すべきものなり

まさに中室社長の方針徹底、言行一致を明確に示している内容である。

翌日は中室社長が自ら案内され、輪島近辺で「自然と共生する日本のかたちを探る」旅を実施したが、いずれも印象的な訪問であった。

【1】千枚田
輪島市郊外にある千枚田で、丘陵を狭い田が段々に登っており、観光名所ともなっている。前夜はイルミネーションで飾られた幻想的な風景であったが、昼間はまた別の自然な姿を見せていた。全国各地に棚田のオーナーが居るため、千枚田で収穫された米は販売されていない。

【2】男女の滝
かなり山の中を登った所にあり、狭くて流れの速い男滝と広くて緩やかな女滝に分かれている。暖冬のせいか、今年の紅葉はもう一つであった。

【3】 間垣の里

中室社長が見せたいと仰っていた自然との共生を実現している里で、冬は海からの強い風を受けるため、海側に間垣を巡らし、外からの強い風は避けるが、間垣の内側は暖かく保つ仕組み。間垣そのものも、風を全部遮断するのではなく、適当な量の風は通過してくる構造となっており、自然の厳しさを全面的に避けるのではなく、共生する考え方に基づいている。

【4】 塗師の家
・二日目の本命である復元された「塗師の家」を見学した。前は狭く、奥は長いという典型的な町屋構造の家で、内部を見学すると、廊下や柱の木目が美しく、日本一の町屋という称号にも納得出来た。ちなみに、町屋というのは仕事場と住居が同居している家を言い、仕事場がなくて住居のみの場合には、しもた屋と言う。

・玄関を入ってすぐの所に「旅の間」、その奥に仏間があるが、この「旅の間」が輪島独特の文化を生んだ。江戸時代には、輪島塗は全国的にはマイナーだったため、問屋を通して商品販売することが出来ず、自分達で全国を売り歩かざるを得なかった。遠方に出かけた商人が帰宅すると、そこで得た最新の知識を皆が聞きに来るための部屋として「旅の間」が作られた。輪島はそのため、日本で最新の知識を集積することになり、発展の原動力となった。

・ 座敷、炉の間、茶の間は中庭(坪庭)に面しており、仕事場へ行くには毎日茶室風の空間を通るという遊びのある内部構造となっている。坪庭にはサザンカが植えられたが、サザンカは塗師屋の主人が行商で不在の時に咲くので、留守の家人も、行商の主人もサザンカを見るとお互いを思うことが出来た。

・ 廊下にはいくつかの美的工夫がなされている。廊下に敷いた板は6枚に見えるが、実は3枚の板を6枚に見せている。こういう廊下を有する現存する建物は、桂離宮と塗師の家だけである。また、壁の柱は巾が異なり、入口から見たときに同じ巾に見えるように工夫されている。利休の美学が活かされたデザインで、当時の輪島が最新の美意識を導入していたことが伺える。

・ 塗師屋は江戸時代に約200軒、明治時代に約250軒あったが、現存するのは塗師の家だけとなった。・ 当時の美意識を示すもう一つの例が、仏間の隣

 

奥にある座敷である。座敷に入るには、神棚の間を通るので、何か特別の部屋ということを予感させる。座敷の一方は輪島塗のパネルが貼ってあり、もう一方は坪庭に面した格子障子となっている。片方は暗、一方は明とし、黒白、明暗を対比させている。神棚の間の奥にあるので、生と死、現世とあの世を対比させたのであろうか。

・ 塗師の家の奥に、輪島屋善仁の製品を展示したギャラリーがある。普段使い出来る漆器から蒔絵の豪華な漆器まで並べられているが、その3階に不思議な空間があった。天井に天の川をイメージした輪島塗の大きなパネルが付けてあり、床に寝転んで見上げると、不思議な感覚が体験出来る。何か大きなものに包まれているような感覚で、ウルシが包み包まれるものだということが実感出来た。ここで端反型の汁椀二客を求めたが、使用してみると唇へのあたり、手触りに何とも言えない暖かさと優しさがあって愛着がわき、これが漆器の醍醐味なのだと納得出来た。

今回の訪問では、日本の伝統産業の典型である輪島塗で、深い学識と高い見識を持ち、それを支える確かな技術を確立している希有な経営者にお会いすることが出来た。輪島塗の伝統を継続したい、輪島塗は世界最高の芸術であるとの信念を有し、それを輪島塗史上最高の技術で実現するため、単なる理念に留まらず国内および海外で着々と手を打っており、何よりも志の高さに強く心を打たれた。高級品と言われて来た輪島塗は「生活芸術品」であり、飾るのではなく使ってこそ良さが分かると講演内容には、目から鱗であった。また使用する材料や技術にここまで拘るのは、百年後、二百年後に自社の製品がどう評価されるかを考えてのことだとのお話しは、法隆寺の宮大工西岡常一さんに相通じる考え方であり、長い目で輪島塗を見ていることが分かる。日本の伝統産業は様々な業種で困難に直面し、縮小や廃業に追い込まれているが、そういう困難な時だからこそ、中室社長のような高い志を持った方が生まれるというプラスの面もあるのは歴史が証明することである。

 伝統産業のみならず、近代工業にも通じる思想であり、こういう時代の個人の生き様を明確に示しているので、多くの方が今回の訪問から少しでも学んで欲しいと念願しつつ輪島を後にした。(文責 相馬和彦)

 

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