新経営研究会の原点-「イノベーションフォーラム」「異業種・独自企業研究会」の歴史と背景

 

 弊会は去る1982年、同志が相語らい、急変する企業環境の下、各企業が其々の特徴を発揮し、わが国ならではの技術/製品開発と独自の企業価値の創出を求め合っていこうと、わが国企業の経営トップ、技術・製品開発とものづくりを担う役員・幹部、アカデミアの方々が、産業・分野横断的に交流、相互啓発し合える機会と場の必要を痛感し合って発足させた、同志会です。
 お陰様で、弊会は今年、発足42周年を迎えさせていただきました。
 これも偏に皆様の厚いご支援の賜物で、改めて衷心より御礼申し上げる次第です。

 

 思えば、今日の新経営研究会の総ては、1982年、弊会が発足と共にスタートした「語り継ぐ経営/開発小史」、そして翌年2月に発足した 「開発者本人が語る/明日の技術・製品開発と独自の企業価値創出研究会」 を原点として始ったのでした。

 

 振り返れば、当時は、開発者・挑戦者本人がその挑戦の経緯を自らの熱い思いと共に語るという機会はまだ極めて珍しかった時代で、その “開発やものづくり、事業創出の経緯” の殆どは、当時私も尊敬させていただいていた故内橋克人氏など、経済評論家の方々による当事者とのインタヴューを中心に纏められ、世に紹介されていた時代でした。仮に当事者が語る機会があったとしても、その殆どは部門長、または広報関係の方によって披瀝されるのが普通でした。今日、経営幹部の啓発を目的とする集りで普通になっている 「開発者・挑戦者本人が語る」 という試みは、実は私共 新経営研究会が草分け、ともいえる試みだったのでした。

 

 1982年、弊会は発足と共に 『語り継ぐ経営/開発小史』 と銘うつ勉強会を発足させました。それは戦後の瓦礫の中から立ち上がり、日本を復興させようと、日本独自の価値観と美意識の基、日本ならではの技術開発と “ものづくり”、事業創出に挑んだ先人たちの夢と覚悟、必死の道のりを、当時の思いと共に、私たちの心深くに語り継いでいただき、今後私たちへの掛け替えのない道標、教訓、励ましとさせていただきたい。その一念で発足させた集りでした。

 この方々が歩んで来られた道のりは、そのご本人の内だけに、またこの方々が所属された企業や組織の内だけに埋もらせておくには余りに惜しい、私たち全てにとって掛け替えのない、貴重で普遍的な示唆と教訓を秘めている筈です。それは私たちが共有すべき魂の資産である。心からそう信じて発足したのが、この「語り継ぐ経営/開発小史」でした。

 それは所謂経営書や開発の手引書の類など、万巻の書を積み上げても得られない、 ずっしりとした重みと深み、感動を以って私たちに迫ってくる、私たちを改めて原点に立ち返えらせ、深く考えさせる機会、そして私たちに指針と希望、勇気を与えてくれる、掛け替えのない機会となる筈だ。それがこの 『語り継ぐ経営/開発小史』 を発足させた、私たちの祈りとも言える所念でした。

 

 その第1回例会にお囲みさせていただいたのは、本田技研工業(株)の創業メンバーのお一人、藤沢武夫氏の後を継いだ同社二代目副社長 西田通弘氏。ご講演テーマは 「ホンダと共に30年」。講演時間はコーヒーブレークを挟んで2時間、その後1時間の Q&A と更に1時間強の有志によるワイガヤの会。これは西田氏お一人を半年、月例会で計 6回に亘ってお囲みさせていただく集りでした。そして 1日をホンダ 鈴鹿製作所の生産ラインとサーキットの見学に当てていただき、言葉では表せない、現場が語っている様々な事象に耳目を寄せさせていただき、併せてホンダ開発・生産のオートバイに試乗する機会をいただきました。この第2回例会は、旧称 松下電器産業(株) 顧問 高橋荒太郎氏による 「幸之助氏と夢と苦労を分かち合った50年」、第 3回は世界初 電子式TVの開発者 日本ビクター(株) 技術最高顧問 高柳健次郎氏をお囲みした「イの字が映った!」 。第4回例会は世界のデジタルオーディオの草分け、CDの開発者、アイワ(株)社長、前ソニー(株) 常務取締役 中央研究所長 中島平太郎氏をお囲みした 「デジタルオーディオにかけた夢」。何れも月例会で、お一人を半年 6回に亘ってお囲みさせていただく集りでした。

 

 この 『語り継ぐ経営/開発小史』 こそ今日の新経営研究会の主軸事業 “イノベーションフォーラム” “異業種・独自企業研究会” の原点、私たち新経営研究会の発足の魂、祈念を具体的な形として世に問うた、われわれの最初の活動だったのです。

 

 そして弊会発足の翌年 1983年 2月からスタートし、第1回例会に「ウオークマンの開発と事業化にかけた夢と苦闘」を取り上げた 「開発者本人が語る/明日の技術・製品開発と独自の企業価値の創出を考える会」。この第 1回例会に、ウオークマンの発案者で開発創始者のお一人、ウオークマンの商品化・事業化の中心となった、当時ソニーのオーディオ事業本部ラジオ部 商品企画課統括課長 手塚多吉氏をお囲みする会でした。この第一回の集りで、後に世界の一大ムーブメントとなるウオークマン事業化への熱い思い、そしてソニーが一丸となって取り組んだ未知の市場創出への夢と苦闘、また手塚多吉氏などが自ら生み出して遊んでいた(?)この “前ウオークマン”の可能性を現場で見出し、その商品化の可能性を見出した当時のソニー名誉会長 井深大氏。そしてその提案を受け、自ら商品化・事業化の中心となった盛田昭夫社長。この両者から直接受けた指導、そしてこの開発途上、様々な局面においてあったであろう両氏の意思決定等についても忌憚なくご披瀝いただくようお願い申し上げて始まった本会は、「録音機能がなく、磁気テープ再生に特化したテープレコーダー “ウオークマン” の開発と未知の市場創出」から世界に羽ばたいていったウオークマンの最初期の、涙と笑い、そして感動に溢れた、当時のソニーの懸命の新市場創出への挑戦をありありと私たちに思い描かせた、まさに感動の生の記録となったのでした。この感動的講演は、弊会の発足 35周年記念叢書 「イノベーション-日本の軌跡 第 1巻(全18巻/50編)」に収録されて今にその感動を伝え、この試みは今日に続いています。  この試みは、弊会の主軸事業「挑戦者本人が語る “イノベーションフォーラム”」 の原点であり、弊会の原点でもあります。

 

 今後とも何卒ご支援いただきますよう、お願い申し上げてやみません。(新経営研究会 代表 松尾隆)


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