第1章

アサヒビールの再生 ビールの流れを変えたスーパードライの創出

アサヒビール(株)代表取締役社長 樋口廣太郎氏

1988年12月20日

樋口廣太郎氏
スーパードライはなぜ大ブームになったか

多湖先生の『頭の体操』

ブームは中身+口コミで生まれる


当時アサヒが直面していた危機の背景

メーカーの “命” は商品の魅力と品質

タブーだった飲料業界での味の変革

 -コカ・コーラの経験がもたらしたトラウマ-

業界のタブーに抗して変革に挑もうとしていた前任者村井勉の決定

シェア一割を切って転落寸前

災いしていた開発評価における位階勲等


 
アサヒの革新、アサヒ生ビール「コクキレビール」が生まれた経緯

開発評価において技術者は全て同格、職階は問わない

徹底排除した既成観念による決めつけと議論

大受けしたキャッチフレーズ、「コクがあるのにキレがある」

自殺行為の容器競争、商品の本質で競っていなかったビール業界に挑む

ライバル企業を訪ねて教えを請う

 -ビールの命は最高の原材料とフレッシュネス-

三つ星レストランのシェフから聞いた三つの基本

 ①原材料に金を惜しまない

 ②ひとの真似をしない

 ③健康志向

フレッシュ・ローテーション

古いビールを社員に体で体験させる

損を切る、経営トップの最重要資質


スーパードライの開発経緯

ビールが贅沢品で、高カロリーが評価された時代

空前の大ヒット、スーパードライが生まれた背景と若い技術者の着想

新聞広告1988(S63)

 またまた出て来た頭ごなしの既成観念と机上論

 -そんなこと、お前たちに言われんでも昔から分っとる!-

1億5千万箱も売れる空前の大ヒット商品に

-業界の前評判「あれはセミかコオロギ」-

広告・宣伝、活字媒体とテレビ媒体

ドライ戦争騒ぎの実態

クアーズから突きつけられたアサヒの基本姿勢

-改めて考えさせられた経営の原点-

スーパードライが契機となった、系列から味の競争へ


再建なって表わせた、せめてもの償いと感謝の思い

1、痛恨の思い、リストラされた方々の復職を願う

 -松下幸之助・出光佐三両氏が日本の産業精神史に残されたあまりに大きな足跡-

2、出来得る限りの身障者の方々の採用

3、身を粉にして力して下さって亡くなった特約店などのお客さん、先輩の方々の供養塔を建てる


終 章

一度決めた基本方針は崩さない

経営とは何か

エクセレントカンパニーを目指す

経営の本質から外れていくCI運動を止めさせる

一つの世界に生きようとすれば、前の世界は死ななきゃならない

思えば、悲壮な覚悟で乗り込んだアサヒビール

これからが私の仕事


第2章

プラント建設ビジネスの経験から

経営再建、新グローバル化時代への対応

千代田化工建設(株)顧問・前取締役会長・元代表取締役社長 関 誠夫氏

2013年2月5日

関 誠夫氏
千代田化工建設という会社

千代田化工建設の創業と草創期

ベクテルと始まったジョイントベンチャー

常に時代に先駆け、挑み続けて来た千代田化工建設の歴史

 日本で初めてIBMシステム360を導入

社員たちでつくった化学プラント建設便覧

環境・省エネに取り組んで来た創業以来の歴史とDNA

経営危機の最中で受賞したLNGプラントでのPMI賞


LNGプラント建設の実績

世界のエネルギー地勢図の大きな変化

八六ヶ国から集るワーカー、猛暑カタールでの世界最大のLNGプラント建設

新丸ビル五棟分のコンクリート、スカイツリー五、六基分の鉄骨

オーマンLNGプラント Oman LNG L.L.C.社提供

精一杯の記録・6,260万時間つづいた無事故・無災害

マイナス35℃にもなるサハリン


私を鍛えてくれた出会いと経験

入社時の二つの契機

 ① 先輩の言葉 「誰にも負けないものを一つ持て」

 ② トラブル処理は買って出よ

契約書の仲裁事項で救われた貴重な経験

-裁定時にものをいう、しっかりとした普段の記録-

現地で不可欠な“レスペクト イーチアザー”、そして “注意”

現場のことは現場が判断

アメリカに渡って得た実感

 アメリカの多様性

 偉い人ほどよく仕事をし、偉い人ほど公平に人に会う

 人と人との信頼関係の基本はレスペクト

掛替えのない経験と勉強の機会だった海外子会社在任時代

「自分の身は自分で守る」 が世界の常識


石油精製所:蒸留装置と貯蔵タンク群
会社再建

プロジェクトから経営管理組織へ異動、会社再建を担う

社長就任

経営危機に陥った原因

再建計画から優良企業計画へ

会社再建の成就は結局は人、そして「明るい」こと

再建に活かされた施策の数々

会社再建のための施策の根幹

 ① 経営ビジョン

 ② 三つの軸足

   ♢ビジネスの不確実性対応とコールド・アイ・レビューシステム
   ♢クライシスマネジメントとクライシスマネジャー制度
   ♢リスクは避けるな、取り込め

 ⑵ 技術力と業務遂行力

 ⑶ ビジネス管理力

   ♢撰択と集中、バイアビリティー
   ♢これからはアセットマネージメントの仕事を

実際の目標設定と自己管理

   ♢「四つの視点」 で良く検討し具体策をつくる
   ♢目標・実行プランの計数化


今、情熱をもって取り組んでいる人財育成

-新しいグローバル時代の担い手づくり-

「場づくり」 が大切


お話ししておきたい大切なこと

目標の立て方と自分の立ち位置

モノづくりからコトづくりへ、そしてモノ・コトづくりの役割

無限の資源「水素」を活かす、地球規模問題解決への挑戦


Q&A

グローバルビジネスの現場における日本と海外の違い

ヒエラルキーを大切にする組織とまだらで曖昧な日本の組織

安全文化の確立は永続的課題

数少ない日本人幹部で、どのように現場を動かしているのか

大きな絵が描けない、皆をまとめることが苦手な日本人

グローバル展開におけるケアとメンテナンスの重要性


第3章

鉄道発祥の地英国で日本が初めて受注した高速鉄道車両

海外に飛躍する日本の鉄道技術

㈱日立ハイテクノロジーズ 名誉相談役 前取締役会長 代表執行役 桑田芳郎氏


           2010年8月27日

桑田芳郎氏
国際事業畑を歩いて来た私の経歴

鉄道発祥の地、英国へ

シーメンスに随意契約でもっていかれた、最初の英国での国際入札

ドーバー海峡トンネル連絡線(CTRL)の受注に成功

 ドーバー海峡トンネル連絡線(CTRL)の概要

 入札に成功! ビッグニュースになった納期前倒しの車両納入

 世界の鉄道事情、英国と日本の歴史は一〇〇年の差

 英国からなくなった鉄道車両メーカー

 日立は当て馬ではないか

 日立? WHO? 皆知っていると思っていた自惚れ

 英国で執拗に確認された「それはProven(実証済み)か?」

 車両とインフラに分離されている、英国の複雑な鉄道ビジネス

英国CTRL向け高速車両
クラス395.愛称ジャベリン

 当時の蔵相ブラウンに推薦状を書いてくれたケント州知事

 この土地で根を下ろしてやる覚悟を示す

 -英国人の登用-

 “安全” の実証、運輸大臣を日本に招く

 初めて成約なった英国への日本の鉄道車両輸出

 -約束と信頼をべースとした英国との折衝-


私の土台となったオーストラリア・タロン火力発電所
での原体験

-クリーニング工場を建て直さなければ注文は来ない-

全てを決めた吉山社長の一言

「日立のセールスポイントはお客様との約束を守ることだけ」

ストライキをやめさせた、日本が持つ精神文化への現地人の共感


一兆円規模 英国IEP(都市間高速鉄道)への優先交渉権獲得

キャメロン新政権下で奮戦中

先行営業運転式典 エリザベス女王ご列席
セント・パンクラス・インターナショナル駅
(2009年6月)

英国IEPにおける現地生産と経営参加への決断


終 章

真のグローバル化とは何か

グローバル化はローカリゼーション


Q&A

海外でいかに人材を求め、育てるか

人材が全ての土台、人事の国際化は今後企業成長の要

不可欠な進出先での市民権の獲得

GM凋落の原因はビジネスモデル

海外に拠点を持って進めるトヨタの研究・開発

日本がどんどん痩せ細っていっている

好みが入るアプリケーション設計は現地が中心

社長を含め、上級幹部は現地の人で

権限と責任は同じ大きさ

権限は枠を与えて委譲すべきもの


今、顧みて
まとめ 

放送大学名誉教授 森谷正規


ビールの流れを変えたスーパードライの創出


プラント建設ビジネスの経験から

経営再建、新グローバル化時代への対応


海外に飛躍する日本の鉄道事業

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