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「日本の‘ものづくり’の本質を輪島に見る/(株)輪島屋善仁訪問」

と   き:2011年11月22日-23日

訪問先 :(株)輪島屋善仁 (石川県・輪島市)
 
講  師 :代表取締役社長 中室勝郎氏
コーディネーター:テクノ・ビジョン代表、元帝人(株)取締役 研究部門長 相馬和彦氏


2011年度後期の第3回は、平成23年11月22日と23日の両日に渡り、石川県輪島市にある輪島塗の最高峰に位置づけられている輪島屋善仁を訪問した。高度な技術に支えられて来た日本の伝統産業が、市場の嗜好変化とグローバル化の中で危機に瀕し、次々に縮小や廃業に追い込まれている。漆器の世界でも全く同様で、輪島塗の企業も年々減少している。そういう環境で、漆器の「生活芸術品」としての普及を目指し、輪島塗の原点に回帰した施策を次々に実行しているのが八代目当主中室勝郎氏である。今回の訪問では、具体的な施策とその背景にある思いをお聞きすることが出来た。

今回は、中室氏の講演と工房見学ばかりでなく、翌日は江戸時代に輪島文化の中心を占めた「塗師の家」の訪問が組み込まれていた。「塗師の家」は中室氏が廃屋に近い状態から修理・復元したもので、復元後に日本一美しい町屋として建築学会からも認定されたものであり、輪島塗の原点を示すものとしても貴重な文化遺産となっている。

 

最初に「生活芸術品の国・ジャパン ~そのモノづくりのルーツと精神~」、と題した講演を、輪島屋善仁 代表取締役社長 中室勝郎氏からお聞きした。以下に要点のみ纏めたが、氏の講演・工房見学および翌日の「塗師の家」での説明内容には、深い学識、高い見識、確かな技術に支えられた志の高さが随所に見られ、漆器に対する深い愛着と思いに溢れた感動的な内容であった。纏めでは、それが十分に反映されていないのが残念である。

日本という国は、古代より開国と鎖国を繰り返して来た。開国の時には旺盛な好奇心で他国の文化を吸収し、鎖国の時にそ

れを熟成することを繰り返して、独自の文化を築き上げて来た。古墳時代~平安初期は開国、平安中期以降は鎖国状態で、かな文字や着物を始とする国風文化が発展した。安土・桃山時代になると開国し、欧州の大航海時代による東洋進出の影響で様々のものが入ってきた。江戸になると鎖国したので、導入したものが熟成され、江戸文化が花開いた。明治になると開国したが、第二次世界大戦中は鎖国状態で、中川一政はこの時期を「この度の鎖国は良かった」と評している。熟成する力が日本の精神的文化的遺伝子の作用だとすると、現代の開国がずっと継続し、鎖国が今後は無いとすると、将来は独自の日本文化は消えていくことになるのか?

まれた。氷河期に大陸では動物の数が減少したため、農耕へと移行したが、日本列島では農耕が必要ない豊かな自然に恵まれた。そのため、自然への感謝の念が生まれ、万物に魂が宿ると考えるようになり、人の作ったモノにも魂が宿ると展開した。縄文時代に食べた魚の骨を並べて埋めたり、壊れた土器を並べて埋めたりしたのもそのためである。こういう縄文時代に、モノづくりの遺伝子が日本人に刷り込まれた。縄文時代の土器には、様々な模様が刻まれているが、弥生時代の土器は決まった形で、模様も消えた。日本のモノづくり精神の遺伝子は、縄文時代に刷り込こういう縄文時こういう平和な縄文時代の影響を強く受けた日本は、心豊かな生活文化を持つ国として発展した。明治の日本人は、貧しくとも気高く、清潔で明るいと外国人の称賛を受けた。現代で言うと、ブータンのような評価だった。代は11,000年も続き、飢餓や戦争もなかった。弥生時代~現在までの年数に比較しても、縄文時代は日本の歴史では圧倒的に長い期間だったので、精神的な影響力も大きかったはずである。ここで縄文時代以降現代まで、時代を色別に分けたテープを伸ばし、縄文時代の長さを視覚的に示したので、論点が実に明快に理解出来た。

英国のバジル・チェンバレンは、東京大学の言語学教授として31年間滞在し、「日本事物詩」を著したが、その中で「アート、ネーチャーに相当する日本語はない」、「日常生活に用いるどんなつまらないものでも、出来る限り目を喜ばせ、心の糧となるようなものであるべきだというのが、日本人の人生観である」と書いている。生活そのものがアートであり、美は魂を作るものであった。米国のパーシヴェル・ローエルは日本について「極東の魂」を書いたが、その中で「日本人は地球上で最も幸福な民族の一つ」と述べており、それを読んだラフカディオ・ハーンは来日を決めた。イサム・ノグチは「アートは魂を救うモノ」と言っており、日本人の美意識が表れている。アートは西洋では一部の人のものであるが、日本ではアートは万民のものであった。

漆は魂の器と考えられてきた。ウルシは、包み包まれるものを意味し、ウルシはウルシノキの傷の治療薬であり、血液である。ウルシノキは20年かけて育てられた後、傷を付けられた後、180日の間に200~250cc程ウルシを分泌して伐採される。採取したウルシは、漆工により器に使用されるが、これは魂の還流、命の再生を意味している。

「ウルシノキは人を恋しがる」と言われ、10,000年前から人の手で植栽されてきた。12世紀以降の仏具はウルシを使ったものだけとなったが、漆器が仏の魂が籠もる器と考えられたためである。16世紀になると、食用の器にほとんどウルシ製が普及したが、ウルシはウルシノキの血液で命そのものという考え方があり、これが血は食によって作られ、食は命という考え方と結びついたためである。

工房見学を控えていたため、講演はここで打ち切りとなったが、僅かな時間の中で質問を挿入した。

【1】岩手の二戸でウルシノキの植林を行っているとのことだが、もう少し詳しい説明をお願いしたい。

→→ 国内で使用されているウルシの95%は中国製である。下塗りに使用する限り、中国製と国産では品質に差は見られない。しかし、上塗りでは中国産と国産では雲泥の差がでる。そこで国産ウルシを確保するため、岩手に10万本の植林を自社で実施した。国産のウルシには、強さ、美しさ、優しさ、特に優しさで大きな差が出るので、何とかして国産ウルシの生産を促進したかった。

 中国でもウルシは後15年程度でなくなるとの危惧がある。80%以上は陝西省で生産されている。合弁での植林提案が相手からあったが、様々な事情で苗木の提供を提案した。その後寄付の話が持ち上がり、様々な経緯を経た後で、結果的に中国で5,500万本の植林が達成出来た。

【2】輪島屋善仁では、上塗りの国産ウルシに油を添加せず、100%ウルシのみで製造しているとのことだが、その理由は?

→→上塗りの国産ウルシに、15%程度の油を添加して塗ることが日常行われているが、油を添加するとウルシが塗りやすいためである。しかし、見る人が見れば、油を添加しているかどうかの差が分かる。善仁では、日本で一番良い物を作りたいと思っており、そのため油は一切添加せず、100%国産ウルシのみの上塗りを使用している。

 質疑終了後、工房へ移動して工程を見学した。まさに手作りの工程で、一人一人の職人が各工程を分担して作業している様子を、間近に見ることが出来た。見学の際の説明や質問への回答では、「日本最高水準」、「輪島塗史上最上」という言葉が極自然に口に出てくるのを聞き、この工房の志の高さが尋常ではないことが良く理解出来た。

【1】上塗り工程
・ 強さ、美しさ、優しさの形を仕上げる工程。
・日本漆芸史上最良のウルシで、日本人の「魂の器」を再生する。百年、二百年先の評価を基準とした赤、黒の仕上げを目指している。
・黒にはカーボン、朱には鉱物を使用。風呂(乾燥機)でゆっくりと乾燥するので、固まる前のウルシが垂れないように、上下に回転させながら塗る。刷毛には40年以上前の中国人の髪の毛を使用している。日本人の髪の毛は使用出来ない。一度でもパーマを掛けた髪の毛は、使用不可。
・ ゴミが出来ないよう注意しているが、それでも細かいゴミが漆器に付くので、一つ一つ手で取り除く。
・上塗には6週間ほどかかり、歩留まりは97~98%。

・ ウルシに含まれているゴミは、吉野の和紙で漉す。10回和紙を通して漉すが、力を掛けずに自然落下で漉すのが良い。

・ 材料の木によって個性が異なり、個性を見て塗り方を工夫する必要があるが、この見分け方が一番難しい。

【2】絵付け
・蒔絵の絵付けは平面では筆で直接漆面に画いて行くが、漆面が曲面の場合には、曲面の和紙に画いたものを写す。
・蒔絵では、器の品位と蒔絵の品位が一致することを重視している。
・梨子地は、漆面の上に金粉を蒔き、更に漆を塗ってから磨く手間の掛かる仕事。

【3】下地塗り
・木地は木地屋から購入し、木地の弱い縁面を落としてから、下地塗りで新しい形を作る。
・ 塗りに使用する道具(ヘラ)は、アテ(アスナロ)から自分で作る。
・木目に順じて仕上げるが、ヘラ跡は百年後、二百年後に見える可能性がある。
・エッジに布を貼ってから(布着せ)、地付けを行う。

【4】 研ぎ
・エッジと全体を砥石で研ぐが、簡単なもので5~6個、複雑なモノを研く時には、10個以上の砥石を使用する。
・塗りと研ぎを9回行った後、初めて蒔絵の工程に回る。

【5】全行程についての中室社長のコメント
・輪島塗は分業システムなので、どうしても自分の工程は良く見るが、全体を纏めて考える視点が抜けてしまいがち。
・各職人には、心得を徹底するとともに、欠点あれば前の工程へ返品することで意識を浸透させている。
・ハードな仕事であるが、職人の希望者は居る。食えない、雇えないのが問題。近年だけで、市場は1/5、塗りの会社は1/2に縮小してしまった。供給者も注文を待っているのではなく、供給者自身が変化する市場へ提案することが必要である。

どこの企業でも、社是や現場の標語があり、それを見るとその組織の風土がおよそ分かるので、そういうものがないかと探していたら、工房に掲げてあったものを見付けた。以下に引用するが、それまでの印象を更に補強する内容であった。

善仁工房定め

1. 職人は人格崇高たるべし

1.漆 木地等材料は日本最高水準たるべし

1.技 工法は輪島塗史上最上たるべし

1.意匠は日本工芸史上に秀れたるべし

右、屹度遂行すべきものなり

まさに中室社長の方針徹底、言行一致を明確に示している内容である。

翌日は中室社長が自ら案内され、輪島近辺で「自然と共生する日本のかたちを探る」旅を実施したが、いずれも印象的な訪問であった。

【1】千枚田
輪島市郊外にある千枚田で、丘陵を狭い田が段々に登っており、観光名所ともなっている。前夜はイルミネーションで飾られた幻想的な風景であったが、昼間はまた別の自然な姿を見せていた。全国各地に棚田のオーナーが居るため、千枚田で収穫された米は販売されていない。

【2】男女の滝
かなり山の中を登った所にあり、狭くて流れの速い男滝と広くて緩やかな女滝に分かれている。暖冬のせいか、今年の紅葉はもう一つであった。

【3】 間垣の里

中室社長が見せたいと仰っていた自然との共生を実現している里で、冬は海からの強い風を受けるため、海側に間垣を巡らし、外からの強い風は避けるが、間垣の内側は暖かく保つ仕組み。間垣そのものも、風を全部遮断するのではなく、適当な量の風は通過してくる構造となっており、自然の厳しさを全面的に避けるのではなく、共生する考え方に基づいている。

【4】 塗師の家
・二日目の本命である復元された「塗師の家」を見学した。前は狭く、奥は長いという典型的な町屋構造の家で、内部を見学すると、廊下や柱の木目が美しく、日本一の町屋という称号にも納得出来た。ちなみに、町屋というのは仕事場と住居が同居している家を言い、仕事場がなくて住居のみの場合には、しもた屋と言う。

・玄関を入ってすぐの所に「旅の間」、その奥に仏間があるが、この「旅の間」が輪島独特の文化を生んだ。江戸時代には、輪島塗は全国的にはマイナーだったため、問屋を通して商品販売することが出来ず、自分達で全国を売り歩かざるを得なかった。遠方に出かけた商人が帰宅すると、そこで得た最新の知識を皆が聞きに来るための部屋として「旅の間」が作られた。輪島はそのため、日本で最新の知識を集積することになり、発展の原動力となった。

・ 座敷、炉の間、茶の間は中庭(坪庭)に面しており、仕事場へ行くには毎日茶室風の空間を通るという遊びのある内部構造となっている。坪庭にはサザンカが植えられたが、サザンカは塗師屋の主人が行商で不在の時に咲くので、留守の家人も、行商の主人もサザンカを見るとお互いを思うことが出来た。

・ 廊下にはいくつかの美的工夫がなされている。廊下に敷いた板は6枚に見えるが、実は3枚の板を6枚に見せている。こういう廊下を有する現存する建物は、桂離宮と塗師の家だけである。また、壁の柱は巾が異なり、入口から見たときに同じ巾に見えるように工夫されている。利休の美学が活かされたデザインで、当時の輪島が最新の美意識を導入していたことが伺える。

・ 塗師屋は江戸時代に約200軒、明治時代に約250軒あったが、現存するのは塗師の家だけとなった。・ 当時の美意識を示すもう一つの例が、仏間の隣

 

奥にある座敷である。座敷に入るには、神棚の間を通るので、何か特別の部屋ということを予感させる。座敷の一方は輪島塗のパネルが貼ってあり、もう一方は坪庭に面した格子障子となっている。片方は暗、一方は明とし、黒白、明暗を対比させている。神棚の間の奥にあるので、生と死、現世とあの世を対比させたのであろうか。

・ 塗師の家の奥に、輪島屋善仁の製品を展示したギャラリーがある。普段使い出来る漆器から蒔絵の豪華な漆器まで並べられているが、その3階に不思議な空間があった。天井に天の川をイメージした輪島塗の大きなパネルが付けてあり、床に寝転んで見上げると、不思議な感覚が体験出来る。何か大きなものに包まれているような感覚で、ウルシが包み包まれるものだということが実感出来た。ここで端反型の汁椀二客を求めたが、使用してみると唇へのあたり、手触りに何とも言えない暖かさと優しさがあって愛着がわき、これが漆器の醍醐味なのだと納得出来た。

今回の訪問では、日本の伝統産業の典型である輪島塗で、深い学識と高い見識を持ち、それを支える確かな技術を確立している希有な経営者にお会いすることが出来た。輪島塗の伝統を継続したい、輪島塗は世界最高の芸術であるとの信念を有し、それを輪島塗史上最高の技術で実現するため、単なる理念に留まらず国内および海外で着々と手を打っており、何よりも志の高さに強く心を打たれた。高級品と言われて来た輪島塗は「生活芸術品」であり、飾るのではなく使ってこそ良さが分かると講演内容には、目から鱗であった。また使用する材料や技術にここまで拘るのは、百年後、二百年後に自社の製品がどう評価されるかを考えてのことだとのお話しは、法隆寺の宮大工西岡常一さんに相通じる考え方であり、長い目で輪島塗を見ていることが分かる。日本の伝統産業は様々な業種で困難に直面し、縮小や廃業に追い込まれているが、そういう困難な時だからこそ、中室社長のような高い志を持った方が生まれるというプラスの面もあるのは歴史が証明することである。

 伝統産業のみならず、近代工業にも通じる思想であり、こういう時代の個人の生き様を明確に示しているので、多くの方が今回の訪問から少しでも学んで欲しいと念願しつつ輪島を後にした。(文責 相馬和彦)

 

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