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金属箔粉の新たな可能性、福田金属の挑戦

 

 

と   き : 2009年9月15日
訪 問 先 : 福田金属箔粉工業(株) 本社工場
講   師 : 常務取締役 梶田 治氏
コーディィネーター:相馬和彦氏 (元帝人(株)取締役 研究部門長)

 2009年度後期例会の最終回は、平成21年9月15日に、京都市山科区にある福田金属箔粉工業の本社工場を訪問した。福田金属箔粉工業は、1700年(元禄13年)に金銀箔粉問屋として創業されたのが始まりで、長らく箔専門の伝統産業に携わっていたが、1937年(明治12年)になって真鍮粉の工業生産に成功し、伝統産業から近代産業へと脱皮した。戦後は銅箔製造に進出し、ハイテク産業にはなくてはならない材料としての金属箔、金属粉を次々に開発し今日に至っている。企業の平均寿命30年と言われてから久しく経つが、その後商品寿命は益々短くなっており、福田金属箔粉工業が300年を超えて時代とともに発展してきた源泉を知ることは、市場の変化に対応した商品開発に日々頭を悩ませている我々にとっては多大の示唆が得られると期待して訪問した。また同社は2005年に第一回「ものづくり日本大賞」総理大臣賞を受賞しており、同社のコア技術である金属箔粉技術そのものについても大きな関心を持った。
最初に林泰彦代表取締役社よりご挨拶をいただいた。 会社創業は1700年であるが、最初の約200年の間は仏像用などの金、銀箔を扱っていた。戦後に銅箔製造を始め、現在銅箔を月産で約500トン、金属粉末を約1,500トン製造している。
次いで会社概況のDVDを見た。大正時代、銅粉はモーター用金属ブラシに使用されていたが、輸入に頼っていた。同社はその国産化に成功した。現在は1,000種類以上の金属粉末を製造しており、材料としては銅、銅ニッケル合金、レアメタルなどが使用されている。昭和12年に日本初のシールド用電解銅箔の製造を初め、昭和32年にはアトマイズ法による金属粉製造法を開発した。金属箔としては、銅、銅合金、アルミニウム、ニッケル、錫などを原料とし、電機・電子部品、薬品包装、建材などに使用されている。次世代製品としては、新製品開発事業部で、電池、人工関節などの医療品、新規用途開発などを実施している。環境対策としては、廃水の50%以上をリサイクルしている。海外では蘇州工場でプリント基板用電解銅箔、1μまでのアトマイズ法銅粉を製造している。研究拠点としては滋賀にリサーチセンターを有している。

次にグループに分かれて工場見学に移った。筆者のグループは、最初にショールームを見学したが、様々な金属粉末および金属箔とその最終製品を見ることが出来た。金属粉末の8割程度がブレーキ、ブラシ、ピストンなどの自動車部品に使用されているが、成形性が良好、ポーラスで油が内部に入る、複雑部品の一体成型が可能などの利点が評価されたため。金属箔の製造法には圧延法と電解法があるが、銅箔は電解法、アルミ箔は圧延法で製造している。
工場では、まず銅箔の製造工程を見学した。溶解工程には、硫酸で銅を溶解するタンクが6基あり、溶解した銅を次の電解工程に送り、ドラム上で箔としてから、次の表面処理工程へ送ってプリント基板用に仕上げる。厚みは9~70μであるが、試作品としては6μまで検討している。銅粉の製造工程では、千葉工場で製造したアトマイズ法銅粉を粉砕し、50~100μに篩い分け、梱包している。粉砕には槌を使用するが、粒径分布が広くなるため、篩い分けをしてから指定商品仕様に合わせて混合する。電解銅粉製造工程では、溶液中の銅濃度が低いため、粉末として析出させている。ハイテク産業で必要とされている銅箔、銅粉が、伝統的な電解法や槌による粉砕法で製造されている現場を見て、意外な感を持ったが、逆にこういうコア技術を発展させ、高度な使用条件を満たす性能を有する銅箔や銅粉を作り上げてきたところに、この企業の強みであるコア技術が凝縮されていることに納得出来た。
工場見学から戻ってから、梶田治常務取締役 新商品事業部長より「金属箔粉の新たな可能性」と題する講演をお聴きした。福田金属箔粉工業は創業が1700年、会社としての設立は1935年であり、当主は11代目となる。2008年実績で売り上げは527億円、従業員は600名である。当社は設立以来300年を超えているが、国内には寿命の長い会社は多く、500年以上が34社、300年以上が580社も存在している。

金箔は金+銀+銅で構成され、第一工程で10μに、第二工程で1μに、更に第三工程で0.1μに延伸されるので、1㎤の金を10㎡まで延ばすことが出来る。ただ金箔の国内需要は一時600万枚あったが、現在は100万枚以下と激減している。その主な原因は、仏壇製造が中国へ移設されてしまったことによる。
当社の変革は明治時代に始まった。まず明治12年に真鍮粉の製造工場を開設し、明治41年には山科での製造を開始した。いままで職人の技で作っていたものを、工業生産へと進化させたものである。杵で打って粉末にしていたものを、杵を捻りながらうつこと、金属粉に表面処理を行うことによって、工業的な粉砕が可能となった。こうして製造した粉末をインキ屋さんに供給し、これが印刷に使用された。昭和になってから、金箔製造は金沢に移って行った。
電解法による粉末製造法は、昭和11年に京大と共同で開発した。電解銅粉は金属ブラシ、ブレーキ材、パンタグラフなどに使用されるようになった。アトマイズ法による粉末製造法は昭和32年に開発したが、粉末が複雑な形状をしているため、ギアなどの粉末冶金に使用されている。
モバイル機器の普及により、10年前から金属粉末に対して、より小さく、より丸く、より薄くという要求が強くなってきたので、そのために必要な技術開発を実施している。具体例を以下に述べる。
①積層セラミックコンデンサー(MLCC)
従来法では数μ程度の粒径で十分であったものに対し、a.粒径約1μ、b.粒径10~100nm、c.形状が真球、などの新しい要求が出てきた。a.とc.に対しては高圧アトマイズ法で、b.に対してはレーザー照射法(京大と共同開発)および液相法で対処しようとしている。
②プラズマ回転電極法
   高融点金属、例えばチタン、を対象とし、チタンの場合には1800℃で実施する。人工関節や歯根への応用展開を目指す。ICパッケージが小型化するに伴い、鉛フリーの半田が必要となってきたため、均一液滴法をMITと共同で開発している。また、銅ボールの表面に半田をコートした銅ボールも検討中である。
③銀ペースト
   銀ペーストでは薄く、銀の使用量が少ない方法を検討している。
 金属箔では、プリント配線盤用のフィルムキャリア付極薄銅箔を検討している。銅箔の厚さは1.5~5μの範囲である。材料としては、銅以外にも、アルミ、銅+錫、銅+ニッケルメッキが含まれる。
 こういう新しい技術を開発するためには、自社だけでは不十分と考え、個別に大学や公立研究機関との共同研究を積極的に実施している。一例を挙げれば、東北大学、熊本大学、京都大学、産総研などがパートナーとなっている。検討中のテーマ内容は、以下のような概略である。
 リチウムイオン電池では、活物質である黒鉛の代替に、ナノコンポジット合金粉を利用出来る可能性はないか。燃料電池では、パラジウム幕の代替として、急冷水素分離膜が使えないか。バナジウムやニッケルは、急冷で薄膜を作ることがヒントとなっている。マグネシウム粉末合金の応用では、マグネシウムフレークから次世代航空機用の胴体ストリンガーが成型できないか。ふくい産業支援センターと共同で、光造形法で複雑な形状が作れないか。初期段階であるが、金属粉末圧延法や熱を電気に変換する素子の、素子用粉末も検討している。

 導電塗料用銅粉では、第一回ものづくり大賞を受賞したが、これはいわゆる電磁波シールド問題に対し、酸化しない銅塗料を開発したことが対象となった。パソコンや携帯電話に採用されているが、この技術開発にはプロジェクトグループを作って挑戦した。技術的には、伝統技術に新規技術がプラスされて達成出来たと思っている。
 伝統産業には確かに強みがあるが、同時に裏返しとしての弱みもある。 
強みとしては、
①コア技術の蓄積がある。
②寿命が長く、かつ安定している。
③ブランド力がある。
④洗練され、無駄のない生産技術を有する。
弱みとしては、
①市場変化に追随しにくい。
②作る側の立場が出る。
③情報収集力に欠ける。
などがあると認識しており、今後は強みを発揮しながら弱みを克服していく必要がある。
 これからの当社の進む方向としては、「メタルスタイリスト」を目指している。具体的には、下記の3項目を達成したい。
①伝統技術にハイテク技術をプラスする。
②感覚に代わるセンサーの導入。
③科学技術、市場情報の入手。
最後に福田家の家訓が引用された。それは「身の程をわきまえる」であり、如何にも古都京都の老舗らしい家訓である。
梶田常務の講演終了後、質疑応答の時間を持った。いくつかの質問が出たが、以下に要約した。まず創業以来300年、近代化された明治時代以来でも140年の間、経営体として時代の荒波を乗り越えるためには、その時代の需要に応じた最先端商品を継続的に開発する必要があったはずである。それをどのようにして実行してきたかが尋ねられた。これに対しては、異業種との交流で得られた情報や人脈を活用したとのことであった。また、そういう開発を可能とした企業文化の存在に対しては、経営者が数代に渡って技術屋が続き、組織としての技術開発マインドが強い文化を有していたことがその背景にあると回答された。
今回の訪問で、技術をベースにした企業の継続的発展の源泉を見ることが出来た。技術者にとって新しい技術は魅力があり、その技術を獲得することにより、新しい製品や事業が構築出来ればそれに越したことはない。しかし、往々にして、新しいと思った事業分野には、すでに先住民が居たり、新規参入者が群がることが多い。そこでの熾烈な競合に勝ち残るためには、新しい技術だけでは不十分である。そこで鍵になるのが、長年築き上げてきて他社の追随が困難なコア技術の活用である。このコア技術に新しい技術を付加し、新たなコア技術発展することが出来れば、先住民を含めた新規商品分野で勝ち残ることが可能となるであろう。今回訪問した福田金属箔粉工業が、300年を超えて存在し得た源泉はまさにそこにあったのではないかと判断され、製造業に携わる者にとっては、貴重な実例を示して貰えた。
(文責 相馬和彦)

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