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5000年の歴史への挑戦、鉛フリーはんだの開発と世界展開

と き :2009年2月18日
会 場 :東京理科大学 森戸記念館
ご講演 :パナソニック(株) 生産革新本部 実装技術研究所 参事 末次憲一郎 氏
コーディネーター:LCA大学院大学 副学長 森谷正規氏

 21世紀フォーラムの2008年度後期第6回は、パナソニックの生産革新本部・実装技術研究所参事である末次憲一郎さんの「5000年の歴史への挑戦 鉛フリーはんだ開発と世界展開」と題するお話しであった。
 まず自己紹介から始まったが、京都大学に入学して、ノーベル賞の湯川博士の講演を聴く機会があり、終わった後で質問に立ち「世の中で最も大切なものは何ですか」と問うと、「大地に両足で立つことです」との言葉をいただき、「私はそれを生きていく信条にしている」との感銘を受けるエピソードが紹介された。
 1980年に松下電器に入社して、生産技術研究所に配属されたが、樹脂、金型、光ヘッド、カラーフィルター、半導体の自動化、自転車とじつにさまざまな技術を次から次へと担当してきた。91年に、回路実装技術研究所に転属になり、94年から鉛フリーはんだ技術の基礎研究に着手した。
 はんだは、鉛37%、錫63%の組成であるが、これは古代からそうであったという。鉛の実用の歴史は非常に古いが、健康への被害も早くから出ていたようで、ローマ帝国ではワインを甘くするために鉛を入れていて、暴君ネロも鉛に頭をやられていたのではないかと言われる。ベートーベンの頭髪からは、通常の100倍もの鉛が検出されたという。晩年に精神が異常気味であったのは、そのせいらしい。日本では、白粉に鉛が入っていて、江戸時代からお女中などに被害があったことが知られている。
 だが、鉛の規制が始まったのは、ごく最近である。なぜ非常に長い間、放置されていたのか、不思議ではある。1989年から規制の動きが生じたが、米国では、93年に議会で問題として取り上げられたものの、対応が困難であるとギブアップされた。96年になって、EUで自動車に対する規制が始まり、2003年のRoHS規制で、鉛使用の禁止への動きは本格的なものになった。 末次さんは、研究にいち早く着手したのだが、1995年1月17日に生じた阪神淡路大震災に遭遇して、決意を固めたという。被災の現場で、電機製品が雨に打たれている状況を見て、鉛成分が溶け出すのではないか、自分たちの飲む水にも混入するのではないか、それは絶対に防がねばならないというのである。
 鉛をなくすには、錫に何を加えるかが問題になる。亜鉛、銀、ビスマス、インジュームなどを加え、その配合を変えて、実験を進めた。はんだが溶けて、濡れ上がり、濡れ広がりがどれほど生じるかが問題だ。それが大きくないと、はんだの性能が得られない。メッキの材質との相性や耐熱性も問題になる。
鉛をなくすことによる難問は多いのであり、その開発には三すくみが生じた。関連するのが、はんだのメーカー、部品メーカー、セットメーカーであるが、どれも強いリーダーシップを取れないのである。

   そこで、セットメーカーである松下が、自ら始めるしかなかった。96年に光ディスク事業部に働きかけて、ともかく量産製品で、世界初の鉛フリーはんだの採用を実現させた。もっとも700台であり、多くはない。だが、始まったものの設備などのインフラが整わず、広がっていかなかった。やはり三すくみであった。末次さんは、やむなく工業誌への論文投稿をしていた。
98年になって、再び動き始めた。まさしく大量生産のMDへの採用を事業部が決めたのである。工業誌の論文を見たのであり、環境に良いというのは立派な付加価値であるとして、鉛フリーはんだを採用することにした。末次さんと打ち合わせをしていて、他社もやり始めていると知って、やるからには一番乗りと、その場でケイタイで上司に電話をして決めた。末次さんの強い思いが伝わったのであろう、地震現場で誓った願いが叶ったのである。
 それまでの研究成果から、このMDでは、錫、銀、ビスマス、インジュームの組成のものを採用した。この組成のはんだは、後に非常に高く評価されて、米国IPC(電子機械実装工業会)の特別賞を2000年に受賞したが、ライト兄弟の偉業に匹敵すると称えられた。
その後の展開は急速であった。松下では全社プロジェクトを組んで、一気に12000種もある全製品に広げることにした。そのために、はんだのテクノスクールを設けて、新しい技術であり実用に当たって多くの問題を抱えている鉛フリーはんだの技術を、現場に広めていった。その松下の組織力はじつに見事である。それによって、はんだづけの不良率が下がったという。これを契機に、はんだの技術をより深めたのである。
鉛フリーはんだは、やがて世界に広がった。なにしろRoHS規制があるから他の国も懸命にやらざるをえない。日本ではJEITAが普及に力を注ぐようになり、積極的に海外の企業との連携を深めていったが、2001年にはワールドサミットが開催された。普及をいかに進めるかのワールドロードマップをつくるのだが、日本がリーダーシップを取り、日本で開催された。国際的な基準や規制で日本がリーダーシップを取るのは珍しいことであり、日本が技術で断然リードしていると、それが可能である。末次さんは、引き続いて開催されているこのワールドサミットの中心メンバーである。
 鉛フリーはんだは、これで完成したのではなく、RoHS規制の2010年の新しい基準に向けて、高温はんだなど新しい技術の開発が必要になる。日本企業の全体で、そのための努力が必要であると、末次さんは強調された。
森谷正規

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