発刊に寄せて

高柳健次郎氏

高柳健次郎と偉大な功績

 東京工業大学 栄誉教授 元学長

 公益財団法人高柳健次郎財団 理事長

 末松安晴氏


イの字が映った! 生涯最大の感激の瞬間

  -電子式テレビジョン開発小史-

日本ビクター(株)技術最高顧問 高柳健次郎

1986年4月~8月


はじめに
    (社)科学技術と経済の会 常務理事
    新経営研究会 代表幹事
    只野文哉


プロローグ

卒業式で中村幸之助学長の訓示に開眼

10年後、20年後に世の中が欲しがるものを研究せよ-

フォーチュンの女神に後ろ髪はない

宇宙の深奥の解明を志して師範学校から蔵前へ、そして落胆…

修養団との出会い

始まったばかりのラジオの次を探す

最初の給料を全て、米、英、仏、独の電気関係雑誌につぎ込む


受像用ブラウン管試作第1号
テレビジョン開発黎明期

無線遠視法の着想、あまりの難しさに逡巡

フランス雑誌のポンチ絵を見て決意

浜松高工で研究許可が出た「無線遠視法」

-偉い方だった初代関口校長-


無線遠視法(テレビジョン)研究・開発草創期

私が創案した最初の画像伝送装置 「ネジリ鏡」

英国から届いた「ニポーの円盤を使った送像装置の成功」の報

相次ぐテレビ実験成功の報 しかし一方で知ったメカニカル方式の限界

ブラウン管が持つ電子式テレビジョン実現への可能性

-時代に先駆けていたキャンベル・スウィントンの先見-

互いに知らず、全電子式テレビジョンに取り組んでいた私とツヴォルキン

辿り着いたアイデア アモルファス・セレニウムの薄膜を撮像管に使う

挫折

受像用ブラウン管実現の前に立ちはだかった幾多の難関とブレークスルー

雲母板上に墨で描いた「イ」の字

受像用ブラウン管の試作一号の完成

送像装置は暫くはニポーの円盤・機械式で

「イ」の字が映った!
  世界初電子式テレビジョン受像機の誕生

-生涯最大の感激の瞬間-

余りに疎かった特許の知識

やっと映った人間の顔

多極・高真空・高電圧ブラウン管の実現

ラジオ放送五周年記念でブラウン管方式テレビジョンを初公開

天覧が契機となって命じられたテレビジョンの専任研究、教授への昇進

高真空・高電圧に耐えられるブラウン管の誕生

一万ボルトを境に、それ以上電圧を上げても絵が明るくならない

戦後アメリカで開発されたメタルバック法


Q&A

発見していながら見逃していた、電子レンズとデジタル電子計算機の原理の発見

当時、世界的にも独創性を発揮していた日本のテレビジョン研究

-全世界で採用され、現在に至る技術〝飛び越し走査〟は日本の発明-

天覧時のテレビジョン送像装置

当時、企業には見向きもされなかったテレビジョン研究


テレビジョンの発展期

受像機を完成させて、いよいよ送像へ

思い知った機械式送像方式の限界

人間の目の驚くべき仕掛け

人間の目から思いついた
  テレビジョン送像装置の基本原理「積分方式」

試作したうなぎの寝床のように並べる光電管

その頃発表されたファルンスワースの電子式撮像管

アイコノスコープと発明者ツヴォルキン博士との出会い

-自ら試作・実験していたツヴォルキンに驚愕 -

ツヴォルキンに倣い、自らプラクティスを持ち合うやり方に切り換える

-皆が力と心を寄せ合い、人頼みを配して出来上がった撮像管-

ケガの功名、誤って不用意に炎を通したときに出来た銀粒子

独自の全電子式テレビジョンを完成

-アイコノスコープの感度向上は断念-

撮像管のその後の進歩

戦争目前で中止になった

当時世界第一級の水準に達していた日本のテレビ研究

世間が無関心の時代、テレビに大きな関心を寄せてくれた鮎川義介氏

ツヴォルキンに先駆けて取得していたアイコノスコープの原理特許

-積分法の原理発明-

サーノフの先見性とリーダーシップ、事業家としての覚悟

-ツヴォルキンに大金を投じてテレビジョンの開発を命じる-

高柳健次郎氏とツヴォルキン氏 再開

本流を掴まえる


Q&A Ⅱ

研究当初から現在と同じ無線中継

放送局開設時の思わぬ事態

電子式を考えた最初のアイデアはどのようなものであったか

積分法に辿り着く経緯

誰も手掛けていない十年先二十年先に、大きなものになる
ものがある

中村先生の教え

短期の成果を追わず、十年、二十年先のことを焦らずやれ!

世の無関心な電子式テレビ研究に励ましてくれた八木秀次先生

-歯牙にも掛けられなかった電子式テレビジョンの研究が天覧で一変-

最初から成功を疑わなかった電子式テレビジョン

チームが一つになってブレークスルー出来たアイコノスコープ

-人間というのは本当に素晴らしい!-

ブラウン管の爆縮と斎戒沐浴

戦前、RCAを凌駕していたNHKのテレビジョン研究とテレビ放送構想


戦後、エレクトロニクス産業の興隆を志す

NHKに戻ってテレビ放送の再興を期す

-第二次世界大戦での日本の大きな敗因の一つは技術の洞察力と工業力-

紆余曲折を経て日本ビクターへ

-GHQによるTV研究禁止、NHKからの軍歴者追放-

テレビジョン研究の再開に向けて

戦後の新レートで企業存亡の危機に立つ

 救ってくれた松下幸之助氏、松下電器の傘下に入る

 RCAとの事態解決に手間取って、日本でのテレビ発売が二年遅れる

GHQが電波使用許可、いよいよ始ったテレビ放送への新たな挑戦

戦争による中断でRCAに追い抜かれていた日本のTV技術

テレビジョン放送の再開に向けて

アメリカのカラーテレビ規格統一、コロンビアとRCAの戦い

 ロンビア方式に決定した米国カラーテレビ統一規

 初期決定したコロンビア方式を覆したRCA

アメリカ方式で決ってしまった日本のテレビ放送規格

日本が誇れる、電源非同期六〇フィールドのテレビジョン方式

カラー化に至る最初の難関/絵が暗い!

-カラーTV実用化に果したRCAと日本の貢献-

カラー化に至る第二の難関/カラー調整

-RCAが開発した画期的技術・自動カラー調整回路-


カラーテレビジョン実現の初期にあった大きな困難

不思議な人間の目の色の識別

二色法で実現出来るカラーテレビジョンの可能性

人間の目の不思議

-白黒と赤の比で見えている色、その平均値の中間で感じる白 -

遂に日本のエレクトロニクス産業の牽引役になったテレビジョン


ビクターで手掛けたテレビジョン以外の技術・製品開発

1、独自の45/45ステレオ方式レコードと日本初ステレオ再生装置の開発

2、ポストカラーテレビ/ビデオテープレコーダーへの挑戦

 アンペックス・ビデオテープレコーダーの出現

 アンペックスの特許非公開、東芝のヘリカルスキャン方式の出現

 2ヘッド、独自方式の家庭用ビデオテープレコーダーを発案

 VHS方式の発表、世界市場の八十五%、販売台数十億台を超える

3、リニアアクセレレーターの発明


Q&A Ⅲ

RCA方式を成功に導いたサーノフの先見性と開発戦略

これから求められる大型ディスプレー

戦後日本のエレクトロニクス発展の基はNHK技術研究所に蓄積されていた技術

大切な技術の素性を見抜くことと闇研の黙認

技術の高い、しかし盆栽のようだったビクターという企業体

売上の二%は何としても守った未来に対する研究投資

天分と努力、学校での成績と創造性

ヒントを得る上で非常に役立つフリートーキング

いずれは、印象派のテレビが生まれるかもしれない


終章

本質を掴む力、信念と覚悟、子どもの好奇心
まとめ 

放送大学名誉教授 森谷正規


追記 高柳健次郎を偲ぶ 

元日本ビクター(株)取締役 テレビ研究所長 廣田 昭氏

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