丸山瑛一氏
工学博士、理学博士
(株)日立製作所 フェロー
理化学研究所 フロンティア研究システム単量子操作研究グループ
グループ長
| 1957年 東京大学 教養学部卒 1959年 同 大学院卒(工学博士) 〃 (株)日立製作所 中央研究所 入社 1985年 同 社 基礎研究所 所長 1989年 同 社 理事 1991年 同 社 研究開発推進本部 技師長 1993年 同 社 退社後、技術研究組合オングストローム テクノロジ研究機構 常務理事 1999年 政策研究大学院大学 教授(現在連携教授) 〃 理化学研究所 フロンティア研究システム長 2007年 同所 特別顧問へ 〈主な著書〉 〈受賞関係〉 |
ナノテクということばが広く知られるようになったのは、2000年1月にクリントン米大統領がナショナル・ナノテクノロジー・イニシャティブ(NNI)を発表して、米国の関連国家予算を大幅に増額する、と宣言してからである。
米国ではそもそも、ナノテクという概念はファインマンおよびドレクスラーによって提唱された、とする説が一般であるが、実は日本でも同時期前後に先駆的研究がいくつもなされていた。たとえば上田良二は1948年に亜鉛の超微粒子の研究を報告しているし、久保亮五は1962年に微粒子の電子物性の理論を発表している。
新技術事業団が推進したERATOの創造科学プロジェクトは1980年代の初頭から林超微粒子、青野アトムクラフトなどいくつものナノ関連プロジェクトを立ち上げ、成果をあげている。カーボンナノチューブ研究で有名な飯島澄男は林プロジェクトの上田リーダーが米国からスカウトした研究者である。
1992年、当時の工業技術院は「アトムテクノロジー」という10年間の大型プロジェクトを立ち上げ、産官学から100名規模の研究者をつくばに結集して共同研究を推進した。この基礎研究プロジェクトの代表的成果は十倉好紀の強相関物性と超巨大磁気抵抗効果の発見である。
米国のNNIは実は日本のこの動きに刺激された危機感に発したものといってよい。
それ以来、ナノテクは世界的ブームを巻き起こした。8年を経過した今、米国のナノテクは日本を凌駕したかといえば、公平にみて日本は経済的苦境を乗り越えて善戦しているといっていいだろう。
本年2月にビッグサイトで開催されたナノテック2008総合展は3日間で延べ5万人の来場者を集め、出展は海外23カ国を含む500企業・団体にのぼり、世界最大のナノテク技術展になった。日本を知らずしてナノテクを語るなかれ、の流れができたともいえる。
他方、この技術展で目についたのはヨーロッパの関心の強さと韓国・台湾などアジア諸国の台頭である。すでに半導体や液晶ディスプレイで市場を席巻しているアジア企業はナノテクでも日本のすぐ背後に迫っている。また携帯電話ではノキアをはじめとするヨーロッパが圧倒的強さを誇る。
日本のナノテクを育てたのは80年代からの産官学の継続的投資と共同研究社会の形成である。最近の政府投資は短期的成果を求めるあまり、長期的視点を欠いていることが気になる。70年代から営々と築きあげてきたナノテクのインフラを疲弊させれば、日本の優位はたちまち地に落ちるだろう。(文中敬称略)